こんにちは。東京・千葉で活動しております、野沢ゆりこです。

秋も深まり、朝晩は肌寒くなってきましたね。

私は秋になると、なぜか心が落ち着き、ゆっくり本を読みたくなります。

あなたは、人の気持ちや場の空気を読むのが得意ではありませんか?

誰かと誰かの間に険悪な空気が流れると、なんとかその場を和ませようとする。

意見が対立している人たちの、どちらの気持ちもわかってしまう。

相手が何を望んでいるのか、言葉にされなくても察することができる。

そんなふうに、周囲の人の気持ちを敏感に感じ取り、気を配ってきたあなた。

人からは「気が利く人」「優しい人」「人の気持ちがわかる人」と言われることもあるでしょう。

けれど、その一方で、こんなことはありませんか?

  • 自分がどうしたいのかわからない
  • 人の意見に流されやすい
  • 頼まれると断れない
  • 相手の機嫌が悪いと気になってしまう
  • 人と会ったあと、どっと疲れる
  • 自分のことより、いつも人のことを考えている

周囲の人の気持ちは敏感に感じとれるのに、自分の気持ちとなると、よくわからない。

人間関係をうまく保つために、いつも気を配っているのに、なぜか自分自身は満たされない。

もし、あなたがそんな生きづらさを抱えているとしたら、その背景には、幼少期の家族関係が影響しているのかもしれません。

家族のバランサーだった子ども

子どもの頃、あなたは家族の中で、どんな役割を担っていたでしょうか。

例えば、両親の仲が悪かったり、家族の誰かが不機嫌になることが多かったり。

そんな家庭で育った子どもは、家族の空気に敏感になることがあります。

「お母さん、今日は機嫌が悪そう」

「お父さんを怒らせないようにしよう」

「私が明るくしていれば、みんな仲良くできるかもしれない」

こうして、家族の誰かが不機嫌にならないように気を配ったり、家族の間に入って関係を取り持ったりする。

いわば、家族のバランサーとしての役割を担うのです。

本来、子どもは大人に守られ、安心して自分の気持ちを表現できる存在です。

けれど、家族のバランスを保つことに一生懸命だった子どもは、自分の気持ちよりも、周囲の人の気持ちを優先するようになることがあります。

自分がどう感じているかよりも、家族がどう感じているか。

自分がどうしたいかよりも、どうすれば家族が穏やかでいられるか。

いつも意識は、自分ではなく周囲の人に向いています。

子どもは、親の助けなしに生きていくことができません。

親が不機嫌になったり、家族の空気が険悪になったりすると、子どもは、ただ嫌な気持ちになるだけではなく、自分の安心と安全が脅かされるように感じることがあります。

だから、親の顔色をうかがう。

怒らせないように気を配る。

自分が我慢すれば、その場が穏やかになると思う。

それは単に気を遣っていたのではなく、人の気持ちを察することが、その子にとって、優しさである前に、自分を守るための戦略だったのかもしれません。

幼い頃の役割を、大人になっても続けてしまう

子どもの頃に身につけた家族の中での役割は、大人になっても、当たり前の生き方として続くことがあります。

周囲の顔色をうかがい、誰かが不機嫌にならないように気を配る。

自分の気持ちは後回しにして、人に合わせる。

自分が我慢することで、その場が丸く収まるなら、それでいいと思う。

そんなことを繰り返しているうちに、

「人の役に立つ自分には価値がある」

「周囲の人に必要とされることで、自分の居場所が得られる」

そんな思いが、心の奥に根づいていくのです。

そもそも、その役割を手放すという発想自体が、なかった人もいるでしょう。

あるいは、手放そうとすると、どこか怖さを感じることもあるでしょう。

「人に合わせることをやめたら、嫌われてしまうのではないか」

「人の役に立たなくなったら、自分には価値がないのではないか」

そんな不安が生まれるのは、その役割が長い間、自分を支えてきた生き方でもあるからです。

幼い頃に身につけた役割が、いつしか自分の生き方そのものになっている。

私たちは、このような生き方を「役割の人生」と表現することがあります。

だからこそ、簡単には手放せないのです。

人の気持ちはわかるのに、自分の気持ちがわからない

家族のバランサーとして育った人は、大人になっても周囲の人の気持ちを察する一方で、自分の気持ちがわからなくなっていることがあります。

「あなたはどうしたい?」

そう聞かれても、すぐには答えられない。

自分の希望を考えるより先に、相手がどう思うかを考えてしまう。

本当は嫌なのに、相手をがっかりさせたくなくて引き受けてしまう。

そして、あとになって疲れや不満を感じる。

こうしたことは、実際のセラピーの場でもたびたび見られます。

子どもの頃のお母さんの気持ちは、とてもよく理解していて、涙を流しながら語ることができる。

ところが、「そのとき、あなた自身はどう感じたのでしょう?」と尋ねると、急に言葉が出てこなくなる。

自分が何を感じていたのか、わからなくなってしまうのです。

なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。

本当は、怒っていたのかもしれません。

悲しくて、やりきれなかったのかもしれません。

けれど、親の機嫌を損ねないように気を配っている子どもにとって、自分の怒りや悲しみを表現することは、難しかったのかもしれません。

怒りを表現したら、親がもっと怒るかもしれない。

悲しみを表現したら、親を困らせてしまうかもしれない。

だから、自分の気持ちは後回しにして、親の気持ちを理解しようとする。

「お母さんが、かわいそうだから」

「お父さんだって、仕事で大変だから」

そうやって相手の事情を理解することで、自分の本音に蓋をしてきたこともあるでしょう。

それを長い間繰り返していると、やがて、自分が何を感じているのかさえ、わからなくなることがあります。

自分の気持ちがないのではありません。自分の気持ちを感じることよりも、相手の気持ちを理解することの方が、ずっと大切だったのです。

他人を優先するうちに、自分を見失ってしまう

私は、このような状態を「自己喪失」と捉えています。

自己喪失とは、自分が何を感じ、何を望み、本当はどうしたいのかが、わからなくなっている状態です。

そのため、人生のさまざまな場面で、自分の希望よりも他人の期待を優先してしまうことがあります。

また、人の気持ちに敏感な人は、相手の感情まで自分の責任のように感じてしまうことがあります。

誰かが不機嫌だと、自分が悪いのではないかと思う。

誰かが困っていると、自分が何とかしなければと思う。

誰かが悲しんでいると、その人が元気になるまで安心できない。

本来、自分が引き受ける必要のない相手の感情まで、背負ってしまうのです。

けれど、相手の気持ちがわかることと、相手の気持ちに責任を持つことは別のことです。

それでも、幼い頃から家族のバランスを保とうとしてきた人にとっては、その違いがわかりにくいことがあります。

相手の気持ちを察し、その場を穏やかに保とうとする。

そんな緊張が日常になっていれば、人と一緒にいるだけで疲れてしまうのも無理はありません。

子どもの頃の役割を、今も背負っていませんか?

人の気持ちを理解し、相手の立場に立って考えたり、周囲に気を配ったりできることは、あなたの大切な力です。

ただ、人の気持ちを大切にするあまり、自分の気持ちを置き去りにしているとしたら。

そこには、少し目を向けてみる必要があるのかもしれません。

幼い頃に必要だった生き方が、大人になった今のあなたにも必要とは限りません。

けれど、長い間、当たり前のように担ってきた役割だからこそ、簡単には手放せないこともあるでしょう。

だからといって、無理に変えようとする必要はありません。

まずは、自分がどんな役割を担ってきたのか。そして、その役割が今の自分にどう影響しているのかを知ること。

そこから、自分自身への理解が始まります。

あなたはこれまで、家族の気持ちを考え、事情をくみ、精一杯理解しようとしてきたのではないでしょうか。

では、あなたの気持ちは大切にされてきたのでしょうか。 

(野沢ゆりこ)

コラム担当者の紹介:協会認定セラピスト 【千葉県】野沢ゆりこ

>>野沢ゆりこさんの詳細を見る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA