こんにちは。
東京・埼玉を拠点に活動している、心理セラピストのまゆみです。
毎日暑い日が続いていますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私は普段、介護職として高齢者の方々と関わっています。
終戦記念日が近づくと、介護の現場で出会った、戦争を経験した方々のことを思い出します。
私は戦争を経験していません。
けれど、介護という仕事を通して、その時代を生きた方々の人生に触れさせていただきました。
食事や入浴、日々の何気ない会話の中で、利用者さんが何十年も前の出来事を昨日のことのように語ってくださることがあります。
その方が見た景色。
その方が感じた恐怖。
失った人への思い。
命をかけて守ろうとしたもの。
そこには、教科書では知ることのできない、一人ひとりの人生がありました。
その方々の体験や言葉は、私に人とのつながりを教えてくれる「生きた教科書」でした。
介護の現場で、その方々の人生に触れるたび、多くのことを教えていただいているように感じます。
今回は、その中でも今も心に残っている、三つの出来事をお話ししたいと思います。

◆止まっていた時間が動き出した日
ある日、90代後半の元海軍だった利用者さんと一緒に、テレビを見ていました。
画面には、海底で発見された戦艦武蔵の映像が映し出されていました。
その方は、画面を見つめながら、静かに話してくださいました。
「武蔵が出航するとき、仲間を見送ったんだ」
そして、画面から目を離さず、
「うれしくて、泣きそうだ」
と、小さくつぶやかれました。
私は思わず、
「おめでとうございます」
と声をかけました。
何に対しての「おめでとうございます」だったのでしょう。
それは、武蔵が見つかったことだけではなかったと思います。
二度と見ることはないと思っていた船。
二度と会えないと思っていた仲間。
命をかけて過ごした、あの日々。
長い年月の中で、心の奥深くにしまわれていた時間に、もう一度触れられたような瞬間だったのかもしれません。
その日、施設では習字の時間がありました。
「何を書こうかな」
そう話された利用者さんに、私は、
「武蔵と書いてみてはいかがですか」
とお伝えしました。
その方は、半紙いっぱいに力強く「武蔵」と書かれました。
私には、その二文字が船の名前ではなく、仲間への思いであり、その方が歩んできた人生を映し出しているように見えました。
止まっていた時間が、再び動き出す瞬間に、私は立ち会わせていただいたのだと思います。
◆命の瀬戸際で求めたもの
元零戦搭乗員の方は、東京大空襲について話してくださいました。
10機で出撃し、基地へ戻ってきたのは3機だけだったそうです。
その方は、何度も、
「操縦席で、泣きながら戦った」
と話していました。
そして、私が今も忘れられない言葉があります。
「飛行機の中に、お母さんが一緒にいたんだ」
私はその言葉を聞いたとき、胸が締めつけられました。
命の危険にさらされた極限の中で、その方には、お母さんが本当にそばにいるように見えていたそうです。
その言葉からは、母という存在がその方にとってどれほど大きな安心だったのかが表れているように感じました。
多くの子どもにとって母親は、安心できる場所であり、命を守ってくれる存在です。
怖いとき。
苦しいとき。
自分一人ではどうにもならないとき。
そばにいてほしい。
守ってほしい。
一緒にいてほしい。
そんな願いは、大人になったからといって、すべて消えてなくなるものではないのかもしれません。
その方は90代後半になっても、ときどき、
「お母さんが見える」
と話していました。
もちろん、その意味を断定することはできません。
けれど、その方にとって「母」という存在は、命の瀬戸際でも、人生の終盤でも、心を支える安心の象徴だったのかもしれません。
私は、そのように感じました。
その言葉を聞いたとき、私自身の中にも、幼い頃に親へ求めていた思いが静かによみがえりました。
人は生涯を通して、安心できる存在とのつながりを、心のどこかで求め続けているのかもしれません。
その方の言葉は、私にそのことを教えてくれました。
◆心の中では「一週間前」
もう一つ、忘れられない出来事があります。
認知症が進んだ90代後半の女性を、入浴介助していたときのことです。
脱衣所に入るまでは笑顔だったその方が、突然険しい表情になり、私に向かって言いました。
「お前も、父親を殺した米軍のように私を殺すのか」
「一週間前に爆弾が落ちて、大変だったんだ」
私たちにとって、戦争は80年以上前の出来事です。
けれど、その方の中では、爆弾が落ちたのは「一週間前」でした。
私は、
「爆弾が落ちたんですね。大変でしたね」
と、声をかけました。
そして、
「砂ぼこりをかぶって、体も汚れてしまいましたね。お風呂に入って、きれいにしましょう」
と声をかけると、それまでこわばっていた表情は少しずつやわらぎ、穏やかな表情で入浴してくださいました。
そのとき私が感じたのは、その方が求めていたのは、
「それは昔のことですよ」
「ここは安全ですよ」
と、現実を訂正されることではなかったのではないか、ということでした。
「あのときは怖かったね」
「それはつらかったね」
そうやって、心に残り続けていた恐怖や悲しみを、誰かに受け止めてもらうことだったのかもしれません。
その出来事が実際にどのようなものだったのか、今となっては確かめることはできません。
けれど、その方の心と身体は、今もなお爆弾が落ちた日の恐怖を生き続けていたのかもしれません。
その後、その方は落ち着いた表情で、私を見つめてくださいました。
人は、どれほどつらい経験を抱えていても、その痛みを安心して受け止めてもらえる人とのつながりが、心を支える大切な土台になるのだと感じました。
◆出来事が終わっても、心の時間は終わらない
心理セラピーを通して人の心と向き合うようになってから、介護の現場で出会った方々の言葉の意味が、私の中で少しずつつながっていきました。
三人が語ってくださった出来事は、それぞれ違いました。
けれど、その奥には共通して、「今も心に残り続けている何か」があるように、私には感じられました。
怖かったこと。
悲しかったこと。
失ったこと。
言えなかったこと。
守れなかったこと。
出来事そのものは終わっても、そのとき受け止めることのできなかった思いは、心の中に残り続けることがあります。
私たちは戦争を経験していなくても、心の中で時間が止まるような体験をすることがあります。
本当は甘えたかった。
助けてほしかった。
怖かった。
わかってほしかった。
けれど、その気持ちを感じる余裕がなかったり、誰にも伝えられなかったりすると、そのとき一人で抱えるしかなかった思いが、今も心の中に残っていることがあります。
介護の現場で出会った方々が、人生の終盤まで心に残していたもの。
それは、仲間を思う気持ちであり、命の瀬戸際で求めた母という安心であり、長い間抱えてきた恐怖や悲しみを、誰かにわかってほしいという思いでした。
そこにあったのは、人とのつながりです。
安心できる人とのつながりは、過去をなかったことにはできません。
けれど、自分の思いや痛みを安心して受け止めてもらえることは、心を支える大切な土台になります。
そして、その土台があるからこそ、
「あのときは怖かった」
「本当は寂しかった」
「助けてほしかった」
そんな、心の奥にしまったままになっていた気持ちに、自分自身が少しずつ耳を傾けられるようになるのかもしれません。
止まってしまった心の時間に寄り添い、そのとき感じきれなかった思いを、自分で受け止めていく。
その積み重ねが、止まっていた時間を少しずつ動かし、自分自身を安心して受け止められる土台を育てていくのだと、私は感じています。
介護の現場で私が触れさせていただいたのは、戦争の記憶だけではありませんでした。
仲間を思い、安心できる存在を求め、誰かに痛みをわかってほしいと願いながら歩んできた、一人ひとりの人生でした。
人は、人とのつながりの中で支えられ、そのつながりを力にしながら、自分自身ともつながり直していく。
だから私は、
人生は、人とのつながりの中にある。
そう感じています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※プライバシー保護のため、実際の体験をもとに一部の設定や表現を変更・再構成しています。
コラム担当者の紹介:協会認定セラピスト 【東京・埼玉】まゆみ


