こんにちは。
京都の心理セラピストの杉原京子です。

8月もあっという間に終わり、もう9月ですね。今年の夏はカラッと晴れた日が少なく、湿度が高く蒸し熱くて、天然サウナ状態だったような気がします。湿気に弱いので、9月はカラッとした天気が続いてくれたらいいなと思います。

さてさて、今回は「現実を見ることの大切さ」というテーマで書きます。

映画やテレビドラマ、小説で、
「もう大人なんだから、現実をしっかり見ろ!目を覚ませ!」なんて言葉を聞いたり読んだりしたことはありませんか?

主人公が我を忘れて、幻想の世界に囚われ、夢見心地なことを言ったりやったりしている時、本来の目的から外れた言動の時によく聞くセリフです。
本人が自分を見失っている時、現実を見れていないんです。そして、あるものを避けて見ないようにしているのです。

自分は、ちゃんと現実を見れてます。

そう言ってる時ほど、実は現実を見れていないことが多いと私は思います。
では、そもそも現実とは何でしょうか?

現実とは、実際に目の前で起こっている事や状態。事実です。
現実世界を生きていると、嬉しい事・楽しい事だけでなく、苦しい事、悲しい事、辛い事、悔しい事、怖い事、不安になる事、腹立たしい事、ネガティブと呼ばれるような受け入れがたい、嫌なこともにもたくさん起こります。

嬉しい時には喜び、楽しい時は心弾ませたりと、光景を目で見て、音を耳で聞いて、その時の匂いを嗅ぎ、肌で感じて、味わったりと五感を通してたくさんの感覚や感情を感じているのです。人は出来事と一緒に、その時々の感情や感覚を五感を通して感じます。

例えば、家族やパートナー、親しい友人との別れ、自身の病気発覚や失業、あるいは自然災害やにあう等、生きている限り自分ではコントロールできない出来事や、家族や職場、友人との人間関係でのトラブルなど、現実では様々な事が起こっています。

特にネガティブと言われる出来事が起こった際、あなたは、いつもどうしていますか?

・何も無かったかのように、淡々とやり過ごす
・「どうすることもできない」と言って、諦める
・頭が真っ白になってフリーズする
・「○○が悪い」と、ずっと人や何かのせいにする
・「私が悪いからだ、ダメだからだ」とずっと自己否定する

これらの行動は全て現実から目を背けて、避けて、見ないようにしています。

現実を見て、認めて、受け入れたら、何が起こるか?

先ほども書いた通り、人は出来事と何かしらの感覚や感情も一緒に感じています。
家族やパートナー、親しい人との別れという現実は、とてもとても悲しいことです。

その現実を見て、認めて、受け入れてしまったら、深い悲しみや喪失感を感じなくてはいけなくなります。誰だってネガティブな感情や感覚は感じたくないものです。特に愛着が安定せず、自分の感情や感覚を受け止めるのが苦手な人には死ぬほどの恐怖であったりします。だからこそ、ネガティブな感情であればあるほど、感じないように、そして傷つかないようにと、自分の感情が動かないように、触れないようにと出来事から目を背けて、何も見ないようにしています。

つまり、
現実を見る恐怖とは、感情や感覚を感じる恐怖なのです。

愛着の問題

愛着が不安定、愛着がない人ほど、感情や感覚を感じることが苦手です。
幼少期の頃に、親との間で感情のやり取りがあり、怖いね、悲しいね、楽しいね。苦しいね。腹が立つね。嬉しいね。と、気持ちを一つ一つ聞いてもらい、受け止めてもらって共感してもらっていれば、この感覚は怖いって言うんだ、この感覚を感じたら怖いって表現しよう、この感覚は悲しいって言うんだ、この感覚を感じたら悲しいって表現しようと感覚や感情と言葉が一致させ、言語化をすることで、自分の中の感覚や感情を認識させていくことができます。

そうして、安心・安全の感覚の中で親に自分の感情を受け止めてもらい、感じてもいいんだ、と安心して感じて受け止めていくことが出来るようになるのです。

これを繰り返すことで、子どもは、自分で自分の感情や感覚も受け止められるようになり、成長するにつれて、人の感情や感覚も受け止められるようになります。

けれども、親との間で愛着を築けず、親から一方的に「~しなさい」「~しちゃだめ」と行動命令だけのやり取りだけの支配的な関りや、攻撃や否定・拒絶が関りだったり、何の関りのない精神的なネグレクトだと、感覚の言語化を学べなかったり、安心安全の感覚がなく、いつも不安や恐怖の感覚しかないのです。

子どもが一人で恐怖や悲しみ、怒りを感じて受け止めることが出来ると思いますか?

現実を見ないことで起こる問題とは?

現実を見ないことで、何か問題でもあるのか?と思うかもしれないですね。

それでは、現実を見ないように、嫌な感覚を感じないようにする為に、こんな行動を取っていませんか?

・ひたすら感じないように抑圧したり、我慢してやり過ごそうとして無気力・抑うつ状態になる
・どうせと言って、何もせず、ずっと諦めている
・我慢の臨界点を超えた時、急にキレて攻撃したり、全てを破壊してしまう
・人は自分から離れていくと言いながら、自ら攻撃したり、人と関わらないようにして自分の殻に閉じこもったり、自分から孤独を選ぶ
・望むような結果を得れないと、言い訳を並べる
・自分には何もできないと無力になって、行動することを避けて(何もしない)、依存する
・全て周りのせいにして、人や物事を自分の思う通りにコントロールしようとする
・人や何かのせいにして、被害者意識を強く持ちながら、攻撃して自分を正当化する
・自分は世界で一番不幸だと、自己憐憫に浸る
・自分の腹黒さを見ないようにする為に、何でもポジティブに変換したり理想化する

なかなか痛い行動だと思います。

自分の中にある恐怖や不安を見ないようにする為に、自分が取っている行動を見る事も現実を見るということです。

これらを認めるのって勇気がいることだと私は思います。最初は抵抗も起こると思います。その抵抗も受け入れながらも、現実を見て受け入れることが、とても大切だと思います。なぜなら、生きている限り、毎日何か起こります。その度にずっとさっき書いたような行動を起こしてしまうからです。

そして、人生が行き詰まって止まったままになります。

この問題を解決するには、過去の心の傷を癒し、どんな感情や感覚を感じても死なないんだという安心・安全の感覚を持ち育てていくことで、現実を見て受け止めていくことだと私は思います。

見出し:見る・見ない、どっち?

生きていると、感じたくない、受け入れられない嫌なこともたくさんあります。

現実から目を背けて逃げている間は、感じなくていいかもしれませんが、ずっと逃げる・避けることが、生きる目的になってしまいます。そして、逃げる為にまた問題行動を起こすという負のスパイラルにはまっていきます。

もしくは、一番の安心・安全策として「何もしない」というノーリスク、ノーリターンの人生を選びます。

ただただ、感情を感じないように切って、機械的にルーティンをこなすだけの人生、あなたは生きたいと思いますか?

無味・無機質な人生、ただただ、生きている、そんな人生を生きたいと思いますか?

現実はネガティブな事だけではなく、嬉しい事、楽しい事もあります。
両方の事実を受け入れて感じることが、現実を生きることだと私は思います

コラム担当者の紹介:協会推薦セラピスト【京都】杉原 京子

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