こんにちは。東京で活動しています、心理セラピストの勝本みゆきです。
いよいよ梅雨が始まりましたね。そして蒸し蒸しと寝苦しい夜の季節もスタートです。
扇風機やエアコンを上手に使い、快適な睡眠を確保して体調に気をつけたいですね。
【不快な人や記憶を、常に頭に置き続けていませんか?】
さて、人は「不快を避けて快を得る」大前提があるのですが、なぜか嫌なのに、ずーっと嫌いな人のことや、嫌だった出来事のことばかり考えてしまう事はありませんか?
例えば、
・大嫌いで恨んでいる親の事をずっと考えてしまう。
・昔、親にされて嫌だった事を延々と思い出し、まるで今起ったかのように、怒りに震えながら、悲しみ苦しみと辛さに囚われ続けている。等々…
嫌な出来事だから、不快なはずなのに、ずっとずっと
自分の中にその時の感覚を持ち続け、反芻させる。
不快なのに、なぜ囚われてしまうのでしょうか?
私も長年やってきました。
そうしていると、投影を起こして身近な人に感情をぶつけたり、現実的に問題も起きて、人間関係にも影響がでてくるし、
自分も不快で、ネガティブ感情を抑えるのにエネルギーの大半を使い続けて、もうクタクタに…
【なぜ囚われ続けるのか?】
嫌な不快な感覚を持ち続ける事で、実は
快=良い事(無意識の中ですが)もあるのです。
例えば、
・親に(あの人に)あんなことされたから、私の人生は上手くいかないんだ、と人のせいにしていれば、自分の人生の責任を取らなくて良い。
・可哀想な私でいたら、誰か助けてくれる。
・大嫌いだけど、本当は大好きな親を常に感じて繋がっている感覚が持てる。
・大嫌いなあの人に意識を向けていれば、自分自身の見たくないところに向き合わなくて済む。
・嫌な繋がりが基本なので、嫌だけど安心を感じる。
・怒りや恨みの強いエネルギーを使って、生きる原動力にできる。等々…
皆さんはどうでしょうか?
自分を癒やして、自分を取り戻す段階で、セラピーなどで過去に未完了だった、悲しみ、怒り、絶望を癒やす前だった場合、その感覚を持っている事はもちろん誰でもあると思います。
【過去の未完了を完了させているのに、まだ囚われてる場合】
けれど、
分かって欲しかった、受け入れてかった気持ちや、過去の色んな感情を完了させ、恐怖を薄くしてきたのに、
いつまでも頭の中に親を置き続け、
「親がね…あの人がね…」と執着している場合、
自分自身が問題を握りしめていたいのかもしれません。
それって、ずっと幼少期のまま時間が止めて、親の支配を受け入れ、脳を止めた状態なのです。
脳を止めていれば、現実を直視しなくていいし、
現実を直視しなければ、絶望を感じなくて済むけれど、
誰の人生を生きているのでしょうか?
そして、そうすることで大人の今、人生が停滞していませんか?
【自分の人生を生きるのに、絶対に必要なもの】
この先、本当に自分で自分の人生を生きたいですか?
自分を主体にして人生を生きるには、ずっと避けてきた痛みに直面することもあるでしょう。
だから、
「絶対に自分を助ける。自分を見捨てない。自分を諦めない」強い覚悟が必要です。
自分を救えるのは、自分だけなのです。
そして、どうするか決められるのも自分だけなのです。
梅雨空の今、家にいることも多いこの時期、
もし少しでも心当たりがある方は、一度ゆっくりご自身の内側を振り返る時間を作ってみてはいかがでしょうか。
また、自分自身に何が起きているのか分からない、自分の中の問題を整理したい方は、ぜひ電話カウンセリングをご利用くださいね。