みなさん。こんにちは。
京都で活動しています杉原京子です。
10月ももう半ばですね。
京都は、朝晩は冷え込むこともありますが、日中は汗ばむ時もあり、湿度も高く、ほんとうに10月?秋?と感じています。
秋を感じるには、もう少し時間がかかりそうですが、秋をすっ飛ばして一気に冬になってしまうかもしれませんね。

気温ではなかなか秋を感じられなくても、スーパーでは栗やさんま、松茸といった食材が並んでいて秋を感じます。
秋は美味しいものがたくさんあって嬉しいですが、美味しいと言って食べ過ぎてしまいますね。

例えば、最近運動不足だし食べ過ぎてるから健康のためにもダイエットしようとします。
だけど、テレビをつければ美味しそうにご飯を食べているグルメ番組や、SNSで美味しそうなケーキやラーメンの写真を目にすると、せっかくダイエットしようとしてもその誘惑に駆られてケーキやラーメンを食べてダイエットに失敗するとします。

そんな時、どんな言葉が出てきますか?

・疲れていたから
・美味しそうな写真を目にしてしまったから
~だったから…という言葉が出てきていませんか?

そうです。そうです。そうです。
これらは一般的に言われている「言い訳」です。

物事を成し遂げようとしたがうまくいかなかった、つまりは失敗した時についつい言ってしまう言葉=「言い訳」
今回は、言い訳の心理とそのもたらす影響について書きます。

ダイエットだけではなく、色んな事に対して言い訳していませんか?

・入試に落ちた
・転職に失敗した
・失恋した
・詐欺にあった

大きな出来事だけでなく、日々の出来事でも

・仕事でミスをした
・遅刻した
・大事なものを壊した、失くした
・人を傷つけた

等々失敗した時、何かしようとしていたがしなかった時、

・たまたま出来なかった。運が悪かった。
・忙しくて出来なかった。気づかなかった。
・時間がなかった。
・そもそもやりたいことじゃなかった。
・どうしようもなかった。

こんな言い訳を並べていませんか?
私も言い訳を並べるので、名人級だなと感じることもあります。。。

ではでは、
なぜそんなに言い訳をするのでしょうか?

言い訳をする心理

そこには、失敗という現実を受け入れたくないという感覚があるからです。
誰だって自分の失敗を見る事も受け入れることって痛いし嫌だし避けたいものです。
ですが、嫌々ながらも失敗を認めて受け入れることが出来る人もいます。

失敗を受け入れることが出来る人と、出来ない人の違いはなんでしょうか?

そもそも失敗とは…
言葉の意味を調べてみるとこう書かれていました。

失敗:方法がまずかったり情勢が悪かったりで、目的が達せられないこと。

何か目的を持っていても、それを達することができない、得られないということだと私は理解しています。
つまり、やり方が間違っていたりするだけなのです。

ですが失敗をした時

・自分はダメだという劣等感
・役に立てない無価値感
・バカにされて感じる恥や屈辱感
・何もできないという無力感

こういった自分自身に対して感じる嫌な感覚を感じたくなくて避ける為に言い訳します。

また、

・あなたはダメだと人から認めてもらえず見捨てられるのではないかという不安や恐怖
・ダメだと責められたり存在を否定されたり、攻撃される恐怖

言い訳をすることで、攻撃しないで、否定しないで、許してと相手から承認を得ようとしたり、見捨てずに受け入れてすがったりして依存したいからです。

だから言い訳を探したり、作り出したりして自分の行動を正当化しようとしています。
とても痛い話です。。。

ですが、正当化することで、これ以上傷つかないように、不安や恐怖を感じないようにと自分を守っています。
心理学の用語でいう「防衛機制」の中の「知性化」(知性だけ(理屈だけ、頭だけ)で理解しよう、収めようとする)と「合理化」(もっともそれらしい理由をならべて自分の気持ちを収めようとする)です。

失敗を認めたくない=現実を見たくない、自分の中で感じている感覚を感じたくない、認めたくない

それには
幼少期に失敗した時に親から
・お前はダメな子だと否定されたり
・バカにされて笑われたり
・そんな子はいらいない、見捨てると脅されたり

失敗した時に生きていけないほどの怖い思いや恥をかかされて悔しいという屈辱感等の感覚がセットになってくっついてるからです。

そしてたくさん傷ついてきたので、また傷つくんじゃないかと心を守ろうとして防衛機制が働きます。

失敗から挫折へ

ここで問題になってくるのが

失敗を認めることが出来なくて、同じ失敗を繰り返して積み上げることで、どうせやっても無駄だと諦めることで合理化を強化し、挫折感を味わうことになります。
失敗を繰り返しては挫折して「どうせ」と言ってあきらめ、また別のことに挑戦して失敗を繰り返し、挫折します。

そして挫折を「社会が悪い」「毒親のせいだ」と合理化の言い訳のスケールが大きくなって満たされない・あきらめきれない鬱屈感を合理化ですり替えて、世の中を恨んだりします。

そして、

合理化は、目的(=本当に欲しい物)が手に入っていない時ほど起こりやすいと私は捉えています。裏を返せば合理化をしている限り、自分の欲しい物は手に入ってないと証明しているようなものです。つまりは自分を守ろうとすればするほど、自分の欲しい物は手に入らないと証明しているのでとても辛いのですが、自分が本当に欲しいという気持ちを認めることはもっと辛いという状態で苦しいのです。

過去にあなたが一番欲しかったものが手に入らなかった、挫折した経験があるはずです。

一番欲しかったもの

それが
・どんな自分でも受け入れてもらえている、愛してもらえるという無条件の愛や基本的安心感、自己重要感
・自分に関心を持ってもらえている、ここにいてもいいんだよという承認
・情緒的な繋がりを感じられる愛着

親からこれらが欲しくて
・親が望むようないい子を演じてみたり
・自分の気持ちを我慢してのみこんでいたり
・認めてもらえるように勉強やお手伝いを頑張ったり
・かわいそうと親を慰めてきたり

色々と目的を達する為に頑張ってみたが、親からは得られなくて失敗しています。
何度も失敗して挫折感を味わいます。

そしてその失敗経験から、努力しても手に入らなかったあの虚しさや絶望を感じたくないからと「自分の欲しい物は手に入らない。」という前提を持つことで、言い訳を作り出して自分の本音に蓋をして自分の気持ちや現実から逃げるようになります。

ですが、本当は欠乏感や渇望感でいっぱいだし、絶望しきっています。

解決にあたって

失敗したら、そこから何がダメだったのかを振り返ることが大切です。

ここで振り返りが自分へのダメ出しになっていると、それは振り返りではなく自分責めをしているだけです。振り返りとは、次、物事が成し遂げられるようにするには、目的を達成するにはどうすればいいか考えて改善していくことだと思います。

そうすることで、今回失敗しても次は成功する可能性が高くなり、段々とミスを減らして目的を達成できるよう(=欲しいものが得られる)になってきます。その繰り返しを続けていくことが挫折感も減っていくことと私は思います。

なぜなら挫折とは、「目的をもって続けてきた仕事などが中途でだめになること。くじけ折れること。」だからです。つまり「挫折=諦める」ということだからです。

あきらめずにどれだけコツコツと続ける事が大切だなと、改めて思います。

それをするには、まず自分の失敗を認める。受け止める。人からの指摘を受け止めることです。もしその時に逃げたくなったり、言い訳が浮かんで来たら、先ずはそんな自分を受け止めて、何を感じたくないんだろうと聞いてみることです。

自分に聞いてみても、何を感じたくないのかよく分からない。何を認めたくないのかよく分からない、何が一番欲しかったのかよく分からない。そんな人は電話カウンセリングで話を聞いてもらって整理してもらえますので、活用してみてくださいね。

そして「満たされない感覚」、「欠乏感や渇望感」、「報われない」「虚しい」という言葉が気になる、何か反応する方は、東京1Dayセミナーで何かしらヒントや気づきが得られると思いますよ。

コラム担当者の紹介:協会推薦セラピスト 【京都】杉原京子

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