こんにちは。東京・千葉県で活動しております野沢ゆりこです。
暖かい日が続いていましたが、ここ数日で気温が下がり、季節は冬へと様変わりしそうです。初めてコラムを担当させていただきます。今回は、ずっと生きづらくて、それを表現するのにも言語化がもどかしく、親への恨みも消えなかった私が、子育てに終わりが見えた時、葛藤しながらリトリーブサイコセラピーの講座に飛び込んだ時のことを自己紹介も兼ねて書かせていただきます。
子育てが終わり自由になる!でも親の役割卒業なら何の為に生きるの?
リトリーブサイコセラピーの基礎コースを受講した時、私は50代半ばで、子育ての終わりが見えた頃でした。
「長かった親の役割も終わる!私はやっと自由になる!」と嬉しいのですが、同時に「私は、もういつ死んでもいいんだな」とも思いました。
ずっと生きづらく苦しいことばかりだった自分の人生。一体何だったのだろう?
これも親に恵まれなかったばっかりに。でもそのことを考えても堂々巡りになるだけ。親を恨みながらも、それを脇にどけて目の前のことに一生懸命だったけど、もう疲れた。
親への恨みが消えないまま人生を終えるのだろうか?これが私の運命なの?
この頃は時間とお金にも余裕ができた頃で、私は情報収集して気になっていたセラピーを体験してみたいと思いました。そこに行けば楽になるかもしれない。でも怖い。それにもう遅いのかもしれない。「もう手遅れだから諦めなさい」と諭す私と、「やっと自分に向き合う時が来た。良かったね」と励ます私、相反する私がいました。
一番苦しかった子供が小さい頃は、心理セラピー自体を知らなかった。やっと自分に向き合うタイミングが、時間とお金に余裕ができた50代半ばを過ぎた今なのだ。
思い切って受講を決めたのです。自分で決めることが怖くて決断までは葛藤があったのですが、あの時決心して本当に良かったと思います。諦めていたら今の私はないのですから。
親の役割が終わったら、これからはどう生きたらいいのか?
余生を楽しく生きたいけど、過去のことが引っかかって足が止まる。もう疲れ果てている。
心理的に子供の私には親の役割が重すぎたのです。けれど役割を全うすることが私の存在する意味でした。親の役割終了は解放であると同時に生きる意味を失うことでした。
子育てが上手くいったのは、夫が頑張ったから。子供が私に似なかったから。
長女を出産後に産後うつ病になり、その後も数年不眠とだるさがある中での子育てはつらいものでした。それが子供の成長にも影響が出るのではと不安でしたが、二人の子は素直に健やかに成長しました。
親から充分な愛情を貰えなかった私ですが、夫がサポートしてくれたことが大きかったと思います。上の娘は結婚して自立、下の息子は文武両道で社交的でしたので、周囲からの評価が高く、私は周囲から「あなたはいいわね~」「どうやったらあんないい子が育つの?」と言われました。そう言われると一瞬は嬉しいのですが、その裏に「あなたは全然大したことないのに…」という悪意があるようで、受け取れませんでした。
子育てが上手くいったのは全て夫のおかげ。子供が私に似ずに優秀だったから。
子供が結果を出せば出す程に、評価を得れば得る程、ダメな自分との差が開いてしまうようで、嬉しくもあり辛い気持ちもありました。
もっともっといい親にならないといけなかった。それなのに私は産後うつで、最初からダメな親だった。私はいつも「自分の理想の親のイメージ」「完璧な親像」を作り上げ、そこに至らない自分にダメ出ししていました。それは「あんな親のようには絶対になるまい」という思いの反動でした。
そして無意識でしたが、「私の愛されなかった欠乏感を満たして」「私の価値を上げて」と子供に要求していたのです。私は子供を利用して自分を満たそうとしていたのでした。
私は自分が自分のことを「全然大したことない存在」と思っていたのです。だからいい母親になって、いい子を育てることで自分の自尊心を回復したかったのです。
親のようにはなるまい、子供には怒りをぶつけまいと思いながら、その出せない怒りを自分に向けていました。私にとって怒りは醜いものであり、全てを破壊する怖いものでした。
目の前のことに忙しい日々。でも意識はいつも過去。
忙しい日々でしたが、目の前のことをやりながら意識は過去にありました。
「私は親から大切にされなかった。子供たちのような自由はなかった。」と事あるごとに過去のつらい思い出が蘇ってきました。
育児、家事、パートと時間に追われながら、ちゃんと果たさなくてはと自分を奮い立たせていました。本当は何一つやりたくなかったのです。早く子育てから解放されて自由になりたいと思っていました。そして意識を過去へ向けて、辛かった幼少期に浸りたかったのです。そうしたからといって、何かが解決するわけではありません。それでも親への執着が止まりませんでした。親への執着こそが私をつき動かす原動力だったのです。
私は目の前のことをやりながら、心ここにあらずという感じで、過去に意識を飛ばし、暗い顔をしていたと思います。家族が楽しそうにしていても心から楽しめませんでした。
この生きづらさをどう表現する?言葉をどう駆使したら理解してもらえる?
勇気を出して講座に来たのはいいけれど、私はわかってもらえるだろうか?
生まれてから半世紀もの時間を振り返ると途方もない感じがして、でもまだ生々しく覚えていることもあり、何をどうやって話そうか、上手く話せるか自信がありませんでした。
「どうせわかってもらえない」という諦めや、人への不信感もありました。でもここはわかってもらえる最後の場所だと何故かそう感じていました。
ネガティブな感情が溢れてきそうだけれど、話し方によってはうんざりされてしまうかも。
人が信じられない上に、自分のことをうまく言語化できない。伝わらなければ、お金を無駄にしてしまうと不安が増すばかりでした。
実際は、言語化が苦手な人は私だけではありませんでした。それにセッションは、今起きている問題や悩みをセラピストさんが質問で掘り下げていく形なので、自分が過去から現在までを逐一話す必要はなかったのです。
自分の内面で感じていることは、自分の言葉で話さなければ相手に伝わりません。それがもどかしいのには理由がありました。長い間感情をごまかして理屈で自分を納得させていたので、その結果自分の本音や感情がわからなくなっていたのです。
共感してもらえた経験と安心安全の感覚を知り世界が変わる
講座でオープンセッションを受けた日のことは今でも覚えています。
あの時、初めて「わかってもらえた」と思いました。和さんやセラピストさん、セッションを見ていた受講生さん、多くの人が見守ってくれていて、こんな経験は初めてでした。
世間は怖い所でいつも怯えていた私が、初めて自分をさらけ出し、受け入れて貰う経験でした。
これほどに私はわかって欲しかったのだ。それが叶わなくて悲しかったのだ。
心から共感してもらえた経験は大きくて、安心安全の感覚を初めて知りました。
そして私が今までに一番言いたくて、一番言えなかった言葉がありました。
安心安全のセラピーの場でその言葉を叫んだ時、感情の解放が起こり、同時に体が緩んだのを体感しました。それはずっと抑圧していた親への感情を凝縮した言葉だったのですが、自分ではどんな言葉を駆使しても表現できなかった感情を、セラピストさんが引き出してくれたのです。この瞬間から私の世界が変わったと言っても過言ではありません。
自分を幸せにするのに遅すぎることはない
これは和さんがYouTubeライブの中で言った言葉ですが、私もこの言葉が好きです。
どんな年齢の人も共通に、今日という日が一番若いのです。
様々な訳あって自分を失ってきた人が、自分を取り戻し、これからは自分を幸せにすると決める。そのことにもう何歳だから遅すぎるということはないと思います。
人は自分の近くにも小さな幸せがあるのに、それに気づけないことがあります。過去の心の傷が未完了だと意識は過去に引っ張られて、自分は不幸だ、これも全部親のせいだと怒りや恨み、憎しみに支配されてしまいます。
あるいはもっと頑張らなければと自分を責め、理想を追いかけては疲れ果てて、自分で自分を不幸にしてしまいます。
生きづらさを抱えながら目の前のことに一生懸命な人、気がつくと意識がいつも過去にある方、未完了の感情がある方、もう今さら遅いと諦めている方へ、自分を幸せにするのに遅すぎることはないことをお伝えし、電話カウンセリングや対面セラピーを身近に感じていただきたいです。
今の生きづらさが何処から来るのかを知り、過去を癒し「今」にフォーカスして生きるために。自分を理解し自分を幸せにするために。今近くにある小さな幸せに気づくために。