こんにちは。長野県松本市で活動している心理セラピスト、横内ヨウです。
今日は、ずっと自分の中で悩みだった「怒り」について、
私自身の経験もふまえてお話ししてみようと思います。
「怒り」をコントロールできるようになりたい
「怒り」の感情なんて、なくしたい
これは、多くの人が抱えている悩みのひとつだと思います。
リトリーブサイコセラピーの門をくぐるまで、私も同じ悩みを抱えていました。
私の経験でいうと、
子育てで「何回おんなじこと言わせるの!」とイライラ。
夫に対して「私ばかり頑張って、あなたは手伝ってくれない」と感じるイライラ。
義理の親の無遠慮さに「ちょっと失礼じゃない?」と胸にモヤッとくるイライラ。
それぞれのタイミングで処理されなかったイライラは、
次第に織りのように何層にも重なっていきます。
そしてある日、なんでもないようなささいな出来事で、
地獄の窯の蓋が吹っ飛んで「どっかーん」と大爆発。
そのあとには決まって、
「あ〜…またやってしまった」と自分を責める罪悪感だけが残る。
それでも当時の私は、
悩んではいるのに“どう向き合えばいいのか”もわからず、
かといって本気で解決しようとしていたわけでもなく……
同じ出来事がぐるぐるとループしているような時期でした。
わたしと同じように苦しんでいる人は、きっと少なくないはずです。
だからなんでしょうね、
よく「アンガーマネジメント」や「イライラ・怒りに振り回されないためには」という本を目にします。
でも、
「こんなこと相談するのは恥ずかしい」
「仕方ない、我慢するしかない」
と悩みを脇に置いて、他のことで自分を紛らわてしまう人は多いのかもしれません。
◆私たちが怒りに悩むのはなぜ?

ところで、
なぜ人は「怒りをコントロールできるようになりたい」と願うのでしょうか?
- 怒ることはよくない、恥ずかしいことだと思っている
- 怒ることで、もうこれ以上誰かを傷つけたくない
- 怒ってしまった後の罪悪感を感じたくない
でも本当はその裏で、
- 怒りを出せない自分が苦しい
- 怒りを出したら出したで止まらない自分も苦しい
- 怒りを感じている自分が、いよいよごまかせなくなってきた
こうした“心の限界サイン”に、
自分でも気づき始めている人もいるかもしれません。
では、私たちは「怒り」というものを
どう捉えているから、怒ることを躊躇してしまうのでしょうか?
◆怒ることを躊躇するのはなぜ?
怒りを感じているのに「出してはいけない」と思ってしまったり、
そもそも怒りという感情に気づけなかったり、
怒りを表すこと自体が苦手だったり……。
気づけば、怒りに蓋をすることが“当たり前”になっている場合があります。
その背景には、
「怒る=悪いこと」
「感情を出す=嫌われて孤独になる」
そんな思い込みが、心の深いところに根づいている可能性があります。
そして、この思い込みには、
幼少期の親からの影響が大きく関わっていることがあります。
たとえば、
- 怒った瞬間に「そんな子はいらない」と拒絶された
- 感情を出すと「うるさい」「いい子にしなさい」と否定された
- 家庭の中で“怒り”がタブーだった
- 逆に、親が理不尽に怒りを爆発させる人で、怒り=恐怖になっていた
こうした経験により、
自然と子どもは 「怒らないほうが安全だ」 と学習していきます。
◆怒ることは悪いこと?

怒ることは決して悪いことではありません。
自分が嫌な思いをしたときに「嫌だ」と感じるのは当然の反応ですし、
大切な人を守ろうとするときに湧き上がる怒りも、自然な反応です。
ただ、当時の自分を振り返ると—
「どうしてこの人はわかってくれないんだろう」という思いからくる怒りに
長いあいだ苦しんでいました。
その奥には実は、こんな気持ちがありました。
- わかってもらえない私は、どこか馬鹿にされているように感じる
- 大切にされていない気がして寂しい
- どうしたって、相手にわかってほしい
- 相手を変えたい
- 相手を自分の思うようにしたい、コントロールしたい
怒りの根っこには、
「私のことを大切にしてほしい」
「わかってもらえないのは寂しいし、悲しい」
という思いがあったんだなぁ…と気づいたのです。
そして、その一方で、
「私のことをもっと大切にしろ!!」
「ギャー(言葉にならない叫び)!」
と叫びながら、
本当は、相手を自分の都合よく変えたいという気持ちを
家族という一番近い相手にぶつけていたのです。
◆怒りの根っこに気が付いたら
自分で自分の内側を見ることができるようになってから、
「正直、わたし変わったよなぁ」と自分でも実感しています。
家族にも言われるくらいなので、きっと確実に変わってきたのだと思います。
怒りという感情は、“二次感情”だと言われています。
その奥には必ず、何かしらの本当の気持ちが隠れている。
私の場合、その怒りを辿っていくと、
自分の中でも認めたくなかった “寂しさ” や “悲しさ” がありました。
その本当の気持ちを、まずはそのまま受けとめること。
「あ~、わたし、寂しかったんだ」「かなしかったんだよね」と。
さらに、
自分の中の自己愛が炸裂して、
「相手を変えたい」と無意識に思っていた自分もいたんだ……
その部分も、責めずに受けとめられるようになりました。
こうして、
自分の内側にあるものをひとつひとつ認めていくと、
怒りに対する見え方が少しずつ変わっていきます。
「怒り」という感情は、私たちが持つ大切な感情の一つです。
決して消すことはできませんし、
むしろ私たちが自分の人生を生きるためには、欠かせないもの。
だとしたらなおさら、
これまで持て余してきたこの感情と、もっと上手に付き合っていきたいですよね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
コラム担当者の紹介:協会認定セラピスト 【松本市】横内ヨウ


