こんにちは。
東京・神奈川で活動していますヒギンズ純子です。
私が<愛について、幸せについて>語ることができるだろうか。
そんな不安の中、同じ悩みを持つ誰かの心に届けばいいなと思いつつ書いています。
【愛ってなんなの?幸せって何?】
私は、愛も幸せも両親からは貰えなかった。
だから愛も幸せも知らない、わからない。
それは、暖かくて心がポカポカする感覚なのだろうか。
安心して眠る瞬間の身体が休まる感覚なのだろうか。
日向ぼっこや温泉の様な安らぎの中の暖かな感覚かもしれないと想像する事はできる。
それなら知っている、私の大好きなホットヨガや、マッサージで感じる心地よい感覚、あれなのか。きっと人ぞれぞれの感覚があるのだろうから、答えは見つからない。
どうしてこんなに愛されたいのかわからない、ここからスタートした。
【過剰に求めるのが愛着障害】
愛着障害の多くの人が相手に求め、求めすぎてトラブルになる。
何を求めるのか、それは、幼少期に養育者から貰えなかった<どんな自分でも愛される>という体感覚。あなたは、貰えただろうか。
・どんな怖いことも起こらないという安心安全の場所があるという感覚
・好きなことを言っても、変なことを言っても、怒っても泣いても、悲しみさえも共感してもらえる、寄り添ってもらえるという肯定感
・どんな失敗も許される、決して見捨てられることは無いという許容されている感覚。
・叱られたり、楽しんだり、一緒にいると楽しい、嬉しいと思ってもらえる「愛で繋がっている」存在の肯定感
・呼べばいつでも助けてもらえると言う孤独ではない安心感。
・そばにいなくても応援してくれているという強い信頼。
幼少期にこれらをしっかり貰えていれば愛着障害にはならない。
【体の中で何が起きているのか】
幼少期の「愛されたい、認められたい」と言う承認欲求が満たされていない状態のまま大人になると、その満たされなかった欲求を、無意識にいつまでも求め続ける。
愛着障害の人が良く言う「心にぽっかり穴が開いている」感じ。
その穴が欠乏感なのだろう。
人間の体は、足りない物を埋めようと機能する、欲求を満たそうとする。
傷ができれば自然に治る自然治癒力と同じように心の穴も無意識に埋めようとする。
生命維持の為の身体のメカニズムだから自分では気が付かないことが多い。
過剰すぎて、「私を大切にしろ、私は悪くない、誉めてほしい、敬え」等と
幼少期に聞いてもらえなかった我がままを聞いて欲しいと甘え、満たされたかった満足感や
ありのままの自分を愛してくれと親しくなった人に過剰に反応しトラブルになる。
過剰すぎる人は自己愛性パーソナリティ障害かもしれない。
【人生を汚染するほどの強い欲求】
パートナーや友人など距離がぐっと縮まって親しくなると試してしまう、疑ってしまう。
・自分を大切にして欲しい
・粗末に扱われている気がする
・嘘をつかれていないか
・自分の事を嫌いにならないか
・見捨てないか
・絶対に裏切らないか
心配で怖くて、過剰に確認する、または、まったく信じようとはしない。
親が扱ったように、親しくなった人もきっと自分のことを粗末に扱うだろうと妄想する。
たとえ相手が優しさや愛情を与えてくれてたとしても、気に入らない、欲しいけど、受け取らない。信じたいのに、信じられない。それが、人生を狂わせてしまう。
【人との関わり方次第で幸せになれる】
誰でも皆「愛されたい」と言う気持ちがある、それが無意識に過剰になる心の病が愛着障害。
人は、一人でもお金とインターネットがあれば生きていけると考える人もいるかもしれない、
でも、メンタル的には健全ではない。
人間には高度なコミュニケーションが出来るという能力が身についている、
人と全くかかわらず生きていくことは出来るかもしれないが喜びは少ないだろう。
人との関わり方が、その人の人生を貧しくも豊かにもする事を大切に考えてほしい。
人との適切な関わりが、幸せへ絶対条件。
愛着障害かもしれないと気が付いたら、すぐに解決へ向けて行動して欲しい。
・人との関わり方がわからない。
・いつも繰り返す人との関わり方のパターンがある。
・いつも人と同じようなパターンでトラブルになる。
・人と親しくなれない。
・誰も信じられない。
こんな感覚があるなら、プロに頼る方がよい。
解決への道がある事を知ってほしい。
【解決への道のり】
どうやって愛着障害を克服するのか。
それはこの「欲求を解決する事が」大きなカギとなる。
そして、知識として学んで行くことも解決への近道となる。
・まず外側に求めることを止める。
・自分の欲求を自分が受け入れ、幼少期の傷ついている自分を癒し、そして満たしていく。
・言語化したり、語り尽くす等、自分の幼少期の満たされなかった欲求に寄り添う。
・他人に与える側になる。貰うことばかりに焦点を当てていた事に気づく。
・自分を振り返る。なぜそう考えるのか、求めすぎてはいないか、常に自己対話をする。
・そして現実社会で人と関わり、愛かもしれないという暖かい感覚に気が付いたら、しっかりと受け取り感謝して自分の中に愛情を溜めていく。
優しい言葉や、心配してくれる人、暖かい声掛けをもらっている事に気がつかず、スルーしてしまう人も愛着障害の人にとても多い。適切なアドバイスにさえ、意地悪だと感じ受け取らない人も多い。
その他にも方法はたくさんあるのだろう。
1番大切なのは「どうなりたいか、自分で決める」と言う事。
今のままではよくないと気が付いたら、そこから脱出するための第一歩を踏み出してほしい。
「あなたは、どんな人生を生きたいのですか。」
もしも、あなたが愛着障害かもしれないという自覚があるのなら、セラピストを頼ってほしい。
私たちセラピストは、そんな欠乏感をよく知っている。
そして、自分癒しを先に始めていて,その効果も十分に知っているから、こうして発信する事ができる。セラピーセッションを通して、気づきを与える事ができる、それがリトリーブサイコセラピーの心理セラピストです。
お気軽にお問い合わせください。