こんにちは、初コラムです!R6年認定セラピストになりました三重県在住のまさるです。
「そんなの当たり前だよ?」

自信満々の男の子のイラスト自信満々の女の子のイラスト

そう聞いて自分のどんな姿が思い浮かびますか。

わたしは家族との心理的な繋がりがないネグレクトの環境で育ってきました。しかし、全くその自覚がなく、破滅的な人生歩んでいました。そんな「当たり前の人生」からリトリーブサイコセラピーで愛着を取り戻し、セラピストになるまでの過程について3つに分け話していきます。

一人でいることが当たり前

 わたしは一人っ子でした。幼い時の父はアルコール中毒でよく物や母に当たり散らしていました。そして、休日は一人で釣り三昧。母は精神疾患の影響で炊事・洗濯以外は寝るだけの生活なため、いつも一人で遊んでいました。またわたしは病弱で、週2-3回病院に通ってたため、中々友人もできず。絵を描いたり、漫画やアニメを見て過ごしていました。

 物心つく頃から、両親はよく喧嘩をしていました。「お前は何もまともにできない!おれを怒らせる!」とダメ出しをし、母を叱る父。毎回仲裁に入り、二人の間を保っていました。母が泣いている時には笑わせて元気づけ、父が不機嫌な時は悪口に協調し父を労う。そうやって「人を喜ばせる。楽しませる。」処世術を身に着け、その家族の中で生きてきました。

 そして、小学生から過食が始まります。ある日の食事として、ビッグマック1個、チーズバーガー2個、ナゲット・ポテトを一人で食べる小学3年生。過食のため肥満児となり、「デブ」、「ブタ」とあだ名をつけられ、いじめを受けることもありました。ただ、絵を描くことだけは周りより秀でていたため、小中学生の部門で美術展への展示もあり、周囲から絵に関しては、認められるようになりました。絵を描くと一人でいることを忘れるんですよね。空想の世界に入ることは、自分の感情や感覚を表現する方法でした。でも、その作品は絶対誰にも見せない。自分の世界に侵入される感覚があったので、絵で交流することはありませんでした。

高校生時代。父が好きな空手漫画の影響で「強くなろう。誰にも負けない強い人間になる。」そんな気持ちから空手部を学びました。この時から運動により激やせをして、過食も止まりました。そして、空手の鍛錬として、巻き藁という鍛錬道具を使い、拳の皮膚が裂け、血を流しながらも毎日1,000回拳を突き続ける。周囲は心配をしていましたが、最初は痛いけど、痛みが無くなります。「ドン、ドン」と拳で突く振動が体に波打つように染みわたり、何も感じない不思議な感覚になり、無心でいられました。しかし、鍛錬のし過ぎで膝を壊し、空手ができない身体になりました。医師には「これは60歳の膝だよ。」と言われたのは今でも覚えています。  

ずーと、一人で何かに没頭しては自分の世界に浸ることが当たり前の時代でした。

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人の役に立つことが当たり前

大学時代。わたしの母が看護師だった影響もあり、小さい頃から医療にも興味があったので看護師になりました。一年目から急性期に配属され、多忙の中、訳が分からず「患者や先輩の役に立てていない。こんな自分はダメだ。」そんな気持ちが強くなり、鬱状態になり、重大なインシデントを発生させてしまいます。上司の計らいでリハビリ病棟へ配属され、「ゆっくり、たくさん勉強ができるチャンス!」と思い、ひたすら勉強に明け暮れていました。急変にもすぐ気づけるようになり、患者・家族からも感謝され、「あぁ、人の役に立っている。必要とされている。」そんな気持ちが看護師としてのやりがいとなっていました。しかし、高齢者に延命のための胃婁や点滴をしても、本人や家族に感謝はされず、むしろ、救うというより苦しめている感覚になりました。何のために看護師をしているのか?と自分のやっていることに対し、「人の役に立つ。」という気持ちが乖離し始めました。段々と虚しさや虚無感を感じ始め、仕事のやる気が無くなっていきました。そして、心理学・占いの講師資格を取り、看護師ではなく、講師として活動することで「人の役に立つ。」気持ちを感じていました。

人に必要とされるため、人の役に立つことが当たり前の時代でした。

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「当たり前」の思い込みに隠された心理

 当時の彼女に幼少期の話について話すと「・・・こんなこと言いたくないけど、めっちゃその家族、変やで?大丈夫なん?」と何度も諭されました。ここでようやく、自分の当たり前が世間の当たり前ではないかもしれないことに気づきました。それでも確信はありませんでした。しかし、偶然YouTubeでリトリーブサイコセラピーに出会い、何となくの疑問を抱きながら、そのまま基礎コースへ参加しました。

初のセラピーでは、わたしは少なくとも母からは愛されていたと思っていました。

母は自分を守ってくれていた。だから、そんな弱い母だけでも救わなければ。それが子どもの役割としての当たり前。親を救うのは当たり前。しかし、セラピーを受けていると段々、矛盾に気づかされます。例えば、わたしが言うことを聞かない時に母は泣きます。そして、父に告げ口をして父が怒りに来ます。そうしてわたしが泣いている時、母は助けに来てくれません。

『でもね、本当にあなたが大事ならそんなことはしないし、あなたが泣いてたら助けにくるよ。』とセラピストさんは言いますが、「そうなんかなぁ?でも、それって家では当たり前なんだよなぁ。」と思っていました。それに母がわたしを愛してくれていると確信する出来事がありました。

「アルコール中毒で真っ赤な鬼のようになった父から、わたしに覆いかぶさるように母は泣きながら「この子だけには!この子だけには!」と泣き叫びながら自分を守ってくれた。」

我が子のために身を張る母親。しかし、その現実は自分が知りたくない最も残酷な言葉で、粉々にされました。

母の気持ちを感じながら、母の椅子に座ります。そこで母は言いました。

「あの子に壊れてもらったら、わたしが大変。だから今はこうして守らないといけない。それにこの後、この子はわたしを慰めてくれる。」そうはっきり、無機質で、冷たい感覚を感じながら言いました。そこに愛情は感じられませんでした。

わたしの当たり前。それは両親が自分たちの関係を保つための利用。子どもの愛情の利用。子どもが壊れないようにギリギリを加減しながら、子どもの人生をもてあそぶ。子どもは親に従うとわかっているから。まるで両親たちのゲームの中にある道具。それを理解した瞬間、自分の中に作られていた「当たり前」が崩れ落ち、胸の中心から冷たく黒い渦が巻き、身体が崩壊する『絶望』という感覚を生まれて初めて感じました。わたしの当たり前は、こんな絶望を感じたくないから幼い時から、ずーと自分に言い聞かせていたのです。

しかし、そこでセラピストさんが助けに来てくれました。「助けに来たよ!」その時、すさまじい抵抗を感じ、全てが嘘だらけな世界で、みんな敵だ。そんな感覚がありました。それでもセラピストさんはあきらめず、自分と向き合ってくれました。「・・・・・助けて欲しい。」そんな感覚が芽生え、温かい感覚でセラピストさんは守ってくれました。

それは、人生で感じたことがない温かさ。安心感。

『こんなの怖くて当たり前だよ。』

今まで自分が感じないようにしていたことが当たり前じゃなくて、「怖い。」を感じることが当たり前だったんだ、人と関わる時にはこの温かい感情や感覚を感じてもいいんだ。そして、安心を感じていいんだと、わたしの中の「当たり前」が変わった瞬間でした。

わたしの「当たり前」は、人のために尽くし続けることで、誰かに必要とされなければ生きられない人生でした。そして、最後は誰とも繋がらず、孤独に生きることになっていたと思います。そんな生きにくい当たり前に気づき、人の温かさを感じることができたのは、リトリーブサイコセラピーのおかげです。

「当たり前」を感じることで、生きにくい人生を歩んでいる人は少なくないと感じます。その「当たり前」には、わたしの様に両親と繋がれるメリットがあるからこそ、気づいてしまうと生きていられない絶望を感じてしまいます。だから、当たり前と思い込み自分を守る心理が働くのです。

このような自分の現状を体感することは、一人では難しいです。

リトリーブサイコセラピーでは、電話カウンセリングや対面セラピーを通して、お悩みや問題の解決に向けて、サポートしていきます。自分の心を知るために、ぜひご相談ください。全力でサポート致します。ここまで読んでいいただきありがとうございました。

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