2023年1月 

第50号 「承認欲求との向き合い方、満たし方」

こんにちは、札幌の公認セラピストの白鳥大介です。
もうだいぶ経ちますが新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!

さて、今日は「承認欲求との向き合い方、満たし方」というテーマでお話したいと思います。

最近よく聞きますよね。
「あの人は承認欲求の奴隷だ」とか。

グーグルなんかで承認欲求という言葉を検索すると、一緒に出てくる検索ワードとして

「承認欲求モンスター」
「承認欲求が強い人」
「承認欲求 満たし方」
「承認欲求の塊」

なんて言葉が検索数が多いみたいです。
それくらいこの承認欲求にまつわる悩みも多くて、実際セッションで扱うことも多いです。

また、この承認欲求の問題を持っているとセラピストをやるにあたってかなりの障害になります。
誰かに認められるため、感謝されて愛されるためにセラピストをやってしまったりと、目的がずれてきたり。
そのずれた目的でやり続けて結果がでないとセラピスト活動が無価値感でめちゃ苦しくなってきますしね。
他人への嫉妬や焦りが自分を支配したり、セッションの意識もステートもとても保てたものじゃありません。

そして、まだセラピスト活動を本格的にやる前ですが、何より僕自身もこの問題を持っていました。
認められたい、必要とされたい、そんな欲求を満たせることがかつての僕がカウンセラーやセラピストへの憧れの原動力でした。

でも、こういうと承認欲求を持っていることが悪いことのように感じてしまうかもしれませんね。
そういうわけではないんです。
誰でも通りがちなところですし、ちゃんと向き合って修正していけばいいわけで。

こんな承認欲求モンスター状態になっているとき、そもそも「承認欲求」という言葉自体が僕はちょっとここで使うのは違うというか、違和感な気がしています。
かつての僕もそうでしたが、誰かに認められたい、必要とされたくてそれでいっぱいなときって、
「承認欲求が強い」というより

「自分が他人から認められない」
「愛されない」
「かまってもらえない」
こんな自分をとにかく感じたくなくて、そうするためにあの手この手で必死な状態。

「承認欲求が強い」んじゃなくて、「無価値な自分から逃げて見ないようにするのに必死」。
これがなんかしっくり来ると思ってます。
かつての自分がほんとこれ。

つまり、恐怖なんですよね。
「欲求が強い」んじゃなく、「恐怖でいっぱい」。
そして、そもそも「そのままの自分は認めてもらえない」という前提と妄想で、実は結構認めてもらえているという現実も見えなくなっているという…。

さらに、「退行欲求」もありますよね。
本当に認めてほしいのは当然親だったりするわけで、それが得られなかった現実や悲しみを「退行」という防衛手段で他人に置き換えて蓋しているなど。

マズローの欲求5段階説(生存→安心→社会的→承認→自己実現の順に欲求が満たされていく)というのがありますが
これはもう安心安全欲求とかの恐怖レベルの話で、実は承認欲求とは少し違う話かなと思っています。

だからまずは恐怖や認めてらもえなかった悲しみを癒やして自分の心にそもそも「どんな自分でもここにいていい」という安心を育てていくことが大事なんです。

その上で、「承認欲求」って誰でも持っている感覚であり、その恐怖を癒やしてから本当の意味で強く感じられる欲求だと思っています。
誰だって認められたら嬉しいし、満たされますよね。

でも、承認は自分一人では満たされません。
だから自分から人と繋がったり、自分からチャレンジしたり、そのためのベースの安心を育てたり、怖くても自分の欲求を感じて行動してみるということがどうしても必要です。

「恐怖を感じたくないから認めて!」ではなくて、「怖いけど生きたいように生きた結果、なんか認めてくれる人がいてくれて嬉しい」。
これが自然な承認欲求だと僕は思います。

そして、ここで大事なのは他人だけではなくて「自分も自分自身のことを認めている」ということ。
例えば、頑張ってセッションしたけどうまくいかなくて誰も認めれくれなかったとしたら、当然承認欲求は満たされないことは想像しやすいでしょう。

でも、例えば、自分では「今日のセッションは30点くらい、微妙だった」と感じているのに、周りの人が「今日のセッションめちゃ良かったよー!!」って言われたら何を感じますか?
周りは認めてくれても、満たされる感じがすると思いますか?
しないですよね。

承認欲求って自分も他人も認めてはじめて満たされる感覚なんです。
だからもし自己否定なんかを持っていたら承認欲求が満たされることがありません。

自他の承認、チャンレンジや努力、これらがバランスよく叶ったとき、承認欲求は満たされます。
「そもそも自分のこと認めてくれている人ってたくさんいるよね」って。
そして、そう感じられたら、そこまで意識が外に向くことはなくなり、自分の自己実現に向けての欲求に集中できるようになってきます。

まずは承認欲求ではなくて自分の恐怖に向きあい癒やして、そのあとに少しずつ自分を満たしていきましょうね。

承認欲求の問題に直面していたら、参考にしてみてもらえれば幸いです。
約5年前の自分へのメッセージでもありつつ…(笑)。

最後まで読んで頂きありがとうございました!
ではまた!

第49号 「自分をよく見せたい」その頑張りは〇〇の強化行動

「自分をよく見せたい」その頑張りは〇〇の強化行動

みなさん、こんにちは。福岡の待鳥智美です。
新年を迎え、いかがお過ごしですか?
今年の目標や抱負を胸に抱いているのではないかと思います。
胸に抱くだけではなく、ぜひ、そのための行動をしてくださいね。

さて、あなたは、自分をよく見せたい、よく見られる自分になりたい、と思うことはありませんか?
私は、よくありましたww

自分が自分を丸ごと受け入れた上で、より良い自分になろうとすることと、
自分が自分を受け入れてなくて、人によい自分を見せようとするというのは根本が違いますよね。
根本が違うから、頑張る方向も方法も違ってきて、その結果、行動してどんどん自信を付けていく人と、いつまでも自己否定を繰り返してそこから動かない人との大きな差になっていくのだと思います。
自己否定は、あらゆる問題に関係しているので、自己否定の問題を解決したいと思う人は多いですよね。
でも、そう思いながらも解決に向かわない、と思っている人も多いと感じています。
そこで、今回は「自分をより良く見せたい」をテーマに自分の経験を踏まえてお話ししますね。

私たちは、本当の自分、ありのままの自分よりも「できる人」「いい人」「素敵な人」「強い人」「好かれる人」などなど、より良く見せたい!と思って頑張ったり、振る舞っているとき、心の奥で「本当の自分はどうせダメだ」とダメ前提で認識して、そんな自分を嫌って、見たくない、隠したいと思っています。
これが、自己否定ですよね。

つまり、「よく見せよう」とすることは、その度に、自己否定を強化しているのと同じです。

自分を良く見せようとする根本の原因を見てみると、「良く見せたい」想いとは、自分に自信が無く不安で、見せる「相手」がいて、その人に見て欲しい、認めて欲しい、愛して欲しい(嫌わないで欲しい)ということですね。
つまり、根本には、幼児的欲求が満たされないままの不安定な自分がいるから、そんな自分を守ろうとして「相手」に満たして欲しい、安心させて欲しいと依存しているのです。

そこには、愛着やトラウマなど自分の生き方の土台の問題があります。

土台の問題を横に置いて、つまり、傷ついた不安な自分を受け入れないまま、上辺をどうにかして人に受け入れてもらおうとするだけだから、ぐらぐらと不安定なまま同じことを繰り返してしまうのです。

私は、大きな失敗をした(と自分が思った)出来事を通して、
これまで何度も少しずつでも自分を受け入れてきてきたし、どんな自分だってもう受け入れていると思っていたけれど、受け入れているようでいて、心の奥底では(本当の自分を見たくないし、誰にも見られたくない。)と、ずっと、こそっと自己否定したまま、本当の自分を隠すため、自分を良く見せるために頑張っていたのだ、と気づきました。

みなさんの中にも、似たようなことを経験している人がいるのではないでしょうか?

ありのままの自分を自分が受け入れるのが怖いのは、先程も言ったように、土台の問題があります。
安定のためには、地道に自分の中に温かさや安心を育てることが必要です。
しかし、自己否定の思考・行動のパターンの0か100の二分思考で、「ありのままの自分を見たくなくて一気に良い自分になりたい、一気に良くなれないのなら地道なことはしない」となりがちです。
それが、自分を装い良く見せることを頑張る悪循環になるのです。

きっと、講座の中で学んだり、セッションを受けたりして、もう知っているはずです。
あとは、やっぱり、自分はどうしたいのか?自分はどうなりたいのか?が大切になってきますね。

本当に困ったときは、自分に向き合うチャンス、自分が成長するチャンスです。
このまま自己否定を強化していくのか、成長欲求を満たしていくのか選んで行動していけるのは、自分ですね。

みなさんにとって、よい年となりますように。

では、また。