こんにちは。東京を中心に活動している心理セラピストの仲村春菜です。
初めてのコラムなので、私の自己紹介も兼ねて今回はお話しさせていただきますね。
「子供の頃から家族の面倒をみてきた。」
この表題を見てドキっとした方もいらっしゃるのではないでしょうか?
幼少期からの私の人生の大部分はまさにこれでした。
小学1年から食事の準備や掃除などほとんどの家事をしていました。
誰も家事をしないので生活を支えるために、そうせざるをえなかったんです。
そして、いつも不安定な母の精神的なゴミ箱役として、毎日罵詈雑言を浴びせられて育ちました。
今思い返すと、子供が親の生活や精神面を支える、いわゆる親子逆転現象が起こっていました。
こういった誰にも面倒を見てもらえずゴミ箱にされてきた子供は、多くの場合、早い段階で病みます。
私の場合も10歳でうつ病と強迫性障害を発症し、5年間不登校になりました。
でも、不登校になってからも家事はしっかりやって親の生活を支え続けてきました。
幼い頃から親の生活を支えていると、それが当たり前だと思って違和感を持ちません。
そのため、成人してからも家事すべてを引き受けて、親の面倒を見続けていました。
これがおかしいと気づいたのは、パニック発作が止まらなくなってからです。
パニックで限界ギリギリまで来て、ようやく私はこの状態から脱することができました。
今回は、私のように長い間、家族のために尽くしてきた方々に向けてお話ししたいと思います。
『誰かの面倒を見続けること = 生き延びるのに必要なこと』
子供の頃から家族の面倒を見てきた人は、それが当たり前になってしまっています。
その背景には、家族の期待に応えなければならないという重圧や、家族が自分を必要としているという共依存的な感情が潜んでいることもあります。
親の面倒を見ることで居場所を得てきた子供にとって、「親の期待に応え続けること = 生き延びるのに必要なこと」です。
そういった間違った観念を植え付けられてしまうと、大人になっても親や他人のサポートばかりすることがやめられなくなります。
なぜなら、「誰の面倒を見ない = 自分には価値がない = 生き延びられない」となってしまっているからです。
逆に言うと、「誰かの役に立つ自分 = 価値がある」と感じているのです。
つまり役に立つことで居場所を得たり、人から認めてもらえたり、危害を加えられないので安心という感覚を得ているんです。(いわゆる心理的な利得ですね。)
この状態が嫌でなければ、それはそれで構いません。
だけど、嫌なのに止められないと感じているなら、ご自身がなぜ他者の面倒を見続けているのかを考える必要があります。
誰かの役に立つだけで、自分を押し殺して我慢し続ける人生は辛いです。
なぜなら、自分の人生の中心が自分ではなく、親など他者になってしまっているからです。
人生の主導権を明け渡してしまっているんです。
自分自身に聞いてみてください。
それは本当にあなたが望んだ人生でしょうか?
『境界線を引くことの大切さ』
家族の面倒を見ることも時には必要かもしれません。
けれど、あなたには「自分の人生を生きる権利」があります。家族の期待に縛られず、あなた自身の夢や希望を追求することも大切です。
他者と健全な境界線を引くことで、自分の人生を取り戻すことができます。
あなたがやらなくても相手ができることはやってもらいましょう。
その人の生活の問題をすべてあなたが引き受ける必要はありません。
自分の問題は自分で解決すべきなのです。
誰かの世話をし続けて苦しくなっているなら、ぜひ境界線を見直してみてください。
尽くしまくるのではなく、あなた自身を大切にしながらバランスを取ることが重要です。
『自分を優先することは、誰かを見捨てることではない』
長年、家族のために頑張ってきた方にとって、「自分を優先する」という考え方は抵抗を感じるかもしれません。
幼少期から誰かを優先して生きていると、自分を大切にするということが分からなくなりがちです。
だからこそ、自分自身に問いかけてほしいのです。
『自分の人生は本当にこれでいいのか?』と。
自分の幸せを大切にすることは決して家族を見捨てることではありません。
むしろ、自分の心と体をケアすることで、結果的に家族にもより良いサポートを提供できるようになるのです。
あなたが感じている責任感や、これまで家族のために費やしてきた時間と労力は、とても大切なものです。
しかし、それと同時に、あなた自身の人生も大切にしてください。
『そんなこと言われたって、お世話がやめられなくて辛い!どうしても親から離れられない。』
そんな方は、ぜひご相談ください。
あなたのこれからの人生をサポートするために、全力でお手伝いします。