こんにちは。
東京、横浜で活動しています、心理セラピストのヒギンズ純子です。
6月になり紫陽花がとても綺麗ですね。
私は紫陽花が大好きです、ノースカロライナ州に住んでいた時にも
庭に植えて毎年この時期に楽しんでいました。
紫陽花は英語でHydrangea(ハイドレンジア)、アメリカでも多くの人に愛されている花です。今では切り花として買ってきて楽しめるのもいいですね。

大切な人の死が人生に及ぼす影響

今日は少し暗いお話しですが、大切なお話しをさせていただきます。
なぜなら、誰にでもいつかその時が来るから。

お悩みを解決するために行っている心理セラピーセッションでは
亡くなった人と心理的に別れる儀式<喪のワーク>をする事があります。

それは、モーニングワーク、グリーフケア、喪の作業等と呼ばれる事もあります。
この<喪のワーク>が必要なクライアントとは、身近な人を亡くしていて、その人に対する後悔や罪悪感があったり、故人を心の拠り所にしていたり、故人とクライアントが一体となり、人生が行き詰ってしまっている、悲しみが乗り越えられない等、その事が現実問題に影響を及ぼしている場合に行います。
そんな時には心理的に別れを告げ、クライアント自信が自分の人生を生きていく為にとても大切なワークです。

では、なぜクライアントが心理的に手放せずにいるのか
そこには当然ですが、深い悲しみや心残りがあるからです。
特に近親者が亡くなった場合、愛していればこそ深い悲しみに襲われます。
現実を受け入れがたく、ずっとそばにいて欲しかったという願いがあるのも当然です。
もういないけれど、クライアントの中には存在しているのです。

それは、

  • 自分に出来る事があったのではないか 
  • 伝えたいことがある、言っていない事がある
  • 私のせいではないか
  • どうして置いて行ったの
  • 何で何も言わずに行ってしまったの

そんな想いから、似たような人や場面で投影と言う反応が起きて
故人の感覚になったり、故人が苦しんでいるかのように目の前の人にのめり込んだりして、クライアントの人生を混乱させます。

何年たっても、思い出せば悲しいのは当然です、その悲しみは大切にしていいと思います。ですが残された人の生きづらさに繋がっているのなら、乗り越えなくてはいけません。故人もそれを望んでいるはずです。

この投影は、無意識ですから何が起こっているのか本人にも分からない、でも、現実の問題として現れます。人間関係などのお悩みを聞いていく中で、これは故人とお別れが出来ていないのかもしれないとセラピストが判断し<喪のワーク>を行う事もあります。

心理的な別れは、永遠の別れではありません

一般的なグリーフケアでは故人との思い出を語りつくし共感してもらう。
クライアントが感じている心残りを少しずつ時間をかけて手放していく。
そして、故人の死を少しずつ受け入れていく。
とても時間が掛かるようですが、そんな風に行われています。

リトリーブサイコセラピーのセッション<喪のワーク>では

クライアントの幼少期の家族関係を聞き、故人が生前、家庭の中でどのような立場だったのか、また、クライアントとはどのような関係性であったか、様々な事を聞きます。そして、エンプティチェアで対話をしてもらいます。
聞きたいことを聞き、言いたいことを言い、互いに理解し統合が起こります。
そして心理的に離れる決心をする。
心理的に離れるとはクライアントと個人は別人格であるという境界線と
故人とはいつでも思い出の中で繋がれるという事を提示し納得してもらい、見送る。
クライアントの気持ちを十分に理解し、本人に納得していただかないと行えません。

とても繊細で大切なワークです。
<喪のワーク>はクライアントが何度かセッションを受けて癒しが始まり、自分に起こっている事をある程度整理できるようになった人に行う事が多いです。自分の無意識に目を向けようとする事により、自分の中の故人が自分を支配している事、または、支配されたいと思っている事、まだ離れられない等の自分の無意識に気が付くことがとても大切だからです。クライアントの中にはまだ存在していて、人生に影響していると本人が感じているのなら、手放す準備が出来ている段階です。もしも、まだ手放したくないのでしたら、無理には行わない方がいいです。

セラピストとして自分の経験から

今回コラムに書こうと思った理由は2つあります。

・1つ目に私自身は父を亡くしていて、その執着を手放す事がとても難しかったからです。私の場合は嫌な父でしたが、子供としてはずっと愛していました。
だから、ずっと恨んでいたかった、それを手放したくはなかった。
恨みを原動力に頑っていられたのです。

・2つ目は私自身が母であり、もし子供達が私の死後、後悔や罪悪感に苛まれたり、
無意識に<人生に影響を及ぼしてしまったら>そんなことを考えたからです。

私は無宗教です。神様仏様には手を合わせます、神聖なものだと思っています。そして、それらに感謝しています。また、死後の世界があるのかどうか、私自身は分かりません。

しかし、私の死後、もしも仮に魂と言う物があったとして、風になろうとチリになろうと、何にもならなくても、私の子供達への想いは変わらない。怒りや恨み等の悪い物も良い物も、全てのエネルギーが無くなったとしても、この想いは変わらないし消えないだろうと思っています。

それは、何があっても「見守りたい、応援したい」という強い想いです。

きっと死んでしまったら何も出来ないのだとも思います、だから死後の世界が証明できないのかもしれません。でも、守護霊とか奇跡とか、虫の知らせや何かサインを感じる人がいるのも事実。

そして、私自信はそんな風にご先祖様や、何か、誰かに守られていると思うと
なおさら「自分らしく自分を生きよう」と思わずにはいられないのです。
それはリトリーブに出会い、<喪のワーク>に出会ったから、なおさらそんな風に思っています。

認知のゆがみ、執着や執念、手放した方がいい事にいつまでも囚われていた、そんな自分の半生を振り返って、1人でも多くの方にも「あなたらしく生きて欲しい」そう願わずにはいられません。

私たちセラピストは、1人でも多くの方へ気づきを提供できる様に技術だけではなく、メンタルも鍛錬を続けます。皆さんより少しだけ先に自分自身と向き合い続けています。そんな私が感じている事を書かせていただきました。

協会ホームページに記載がある様に

「私たちは真に貢献する心理セラピストを目指し、日本社会に貢献していきます!」

どんなお悩みでも1度ご相談ください、あなたらしく生きる為に。


コラム担当者の紹介:協会推薦セラピスト 【東京・神奈川】ヒギンズ純子

>>ヒギンズ純子さんの詳細を見る

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