プロフィール

横内 ヨウ
私は、4人家族の長女として育ちました。
3歳下には、両親待望のかわいい長男である弟がいます。
そして私は、親から抱きしめられた記憶や、温かなぬくもりの記憶がほとんどありません。
小学生のころ、母から「あなたが生まれたとき、お父さんが『なんだ、女か(がっかり)』って言ったのよ」と何度か聞かされたことがあります。
この記憶は、とても生々しく私の中に残り続けてきました。
もしかしたらこのとき、「私はこの家には不必要な存在だ。だから甘えてはいけない」―そんな信念が私の中にできたのかもしれません。
振り返ると、つい最近まで「私は幸せな家庭で育った」と信じていました。
親から叩かれたり罵倒されたりした記憶もなく、衣食住に困ることもありませんでした。
「自分のことは自分でできる、手のかからないいい子」として扱われ、それを誇りにさえ思っていたのです。
けれど、ある日、母が「うちの子どもは反抗期がなくて、本当に育てやすかった」と言っているのを聞いたとき、正直、鳥肌が立ちました。
私には確かに『反抗期』がありました。
けれど、私が反抗しようとすると、母は『全面無視』を決め込むのです。
「おはよう」「おやすみ」「いってきます」「ただいま」――すべて無視。
まったく口をきいてもらえない日々が続きます。
その寂しさと不安に耐えられず、何度も「ごめんなさい」と謝らないと許してもらえない。
そんな経験を重ねるうちに、私は「反抗=孤独の恐怖を味わうこと」を無意識に学び、母の意にそぐわない自分を押し殺すようになっていきました。
結婚後は、仕事で忙しい夫を横目に、私は一人で子育てに奮闘しました。
しかし、心の中には何とも言えない焦燥感が常につきまとい、夜にはアルコールなしではいられない日々を過ごしていました。
やがて子どもが反抗期を迎えたとき、私は再び大きな壁にぶつかります。
「私はあんなに親の言うことを聞く“いい子”だったのに、どうしてあなたたちはこんなに反抗するの?」
答えが見つかるわけもなく、ただ苦しんでいました。
そのうち、私の気持ちを察してくれない夫に対しても、怒りを“受動攻撃”という形でぶつけるようになっていきました。
そんな年月を重ねる中で、ある時、リトリーブサイコセラピーと出会います。
その頃には、子どもたちはそれぞれ家を離れ、夫はうつ病で休職していました。
私は夫と真正面から向き合わざるを得ないタイミングだったのです。
リトリーブでのセッションや学びは、自分の問題の根っこにあるものを知る大きなきっかけを与えてくれました。
そして、人とつながる温かさは、自分の中でずっと認めたくなかった「本当は愛してほしかった」「本当は甘えたかった」という感覚を、少しずつ優しくほぐしてくれたように思います。
私たちは、問題にぶつかったとき―
・何でもないことにして、心に蓋をしてしまう
・ただただ恐怖に震える
・自分が悪いことにして、その場をおさめてしまう
・自分のことがよくわからなくなる
そんなとき、「自分には、もう問題を解決する力なんてない」
そう思い込んでしまうことさえあります。
でも、リトリーブは、そんな“あるがままのあなた”を受けとめながら、
あなたが自分の力で、何を選び、どんな行動を起こしていくか。
その一歩を踏み出すきっかけを見つけていく場所です。
どういう人向けに良いのか
- 頑張ることがやめられない(気づけば常に自分を追い立ててしまう)
- 言いたいことが言えない(どうせわかってもらえないと思ってしまう)
- 対人恐怖(人とつながりたいのに、つい距離を取ってしまう)
- 自分の中の怒りをどう扱えばいいかわからない(怒りは出してはいけないと思いつつ、出すと罪悪感を感じてしまう)
- 自己否定・隠れ自己否定(プライドは高いけれど、本当は自分をダメだと思っていて、どこかで頑張らずにいられない)
メディア情報
- HP : 工事中
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