2022年11月 

第46号 境界線を引く大切さ

みなさんこんにちは!
関東たまに北海道で活動しています心理セラピストの大咲けいこです。
秋の夜長、みなさんいかがお過ごしですか?
私はいたって普通ですw

さて今回は、人との境界線について書いてみたいと思います。

リトリーブサイコセラピーを学ぶ中でよく境界線という言葉が出てきますよね。

特に共依存の人は
「お母さんと境界線を引いて!」と言われたりしますよね。
私もいっぱい言われてきました。

そうやって境界線を意識するうちに対人関係が少しずつ変化してきた方も多いんじゃないかな…と思います。

たとえば人が嫌いだった人が世の中捨てたモンじゃないかも…と思えたり
仲が良いと思っていた相手が最近支配的に感じたり…など。

そんな変化が訪れたとき、どうすればいいのかを今回は深ボリしてみました。

☆境界線ってなに?

そもそも境界線とは、自分と他人を分ける境目でありこの概念は幼少期に培われます。

最初赤ちゃんはお母さんと母子一体状態。
そう、境界線がないのです。

そこから成長して自分でできることが増えてくると今度は興味や欲求が出てきます。
これが自我の芽生えであり『イヤイヤ期』の到来です。

この頃の子供は「イヤ!」「じぶんでやる!」を主張しますよね。
そう、自己主張しているんです。

この時に安心安全な両親の元で適切にイヤイヤ期を過ごせた人は

・自己主張すること
・自己主張の限度
・ダメなものはダメ(ママにも都合がある)

などを理解していくのですが
リトリーブに来られたみなさんはそもそもイヤイヤ期ができなかったと思います。

☆生き辛さの原因

たとえば親が怖かったり過保護・過干渉だった場合、自己主張は死を意味します。だから子供はイイ様に利用され怒りを溜めながらも生きるために親を飲み込みます。

そうやって境界線を明け渡してしまうのですね。そして親に出せない怒りを今いる周りの人にぶつけるという怒りの置き換えなんかも起きたりします。

また別の例として、最近多いと言われている子供を叱れない親は
子供を優先してご機嫌を伺うので子供は『泣いて喚けば飴が貰える』ことを学びます。

だから自己主張を通り越してワガママ全開になります。
自己愛と支配欲が炸裂するのですね。そうやって相手の境界線を平気でブチ破ってしまうのです。

これらのような生き方を踏襲したまま大人になると、人間関係が拗れて生き辛さを抱えるのは至極当然ですよね。

☆葛藤が起きたときこそ

様々な辛さの根本原因を紐解き、恐怖が安心安全に変わっていくと
自分のイヤがわかってきたり欲求が芽生えたりした人も多いと思います。

ところでこれとある感覚と似ていませんか?

そう、イヤイヤ期です。

表層の恐怖が薄くなると今まで抑圧してきた自我、つまり感覚感情がだんだんわかってきます。

そうなると今までの生き方が苦しくなるのです。
かといって自分を表現するのも怖い。
いわゆる葛藤が起こるのですね。

そんな時は改めて境界線の大切さを考えてみましょう。

☆境界線の大切さ

境界線とは自分と他人を分ける境目です。

「ココまではOKだけどココから先はNGよ」と提示することが境界線になります。
そしてこれは自分を優先し大切にすることです。

そうした時離れる人もいるかもしれませんが、それはそれまでの関係性だったということ。
残念かもしれませんが相手への思いやりがない人と仲良くなりたいでしょうか?

また逆にあなた自身も相手を思いやる気持ちが大事になります。
一方的な、わかってー!認めてー!はイヤイヤ期の子供と一緒。
我々はもう立派な大人なんです。

相手は相手の都合がある。
それを尊重し合えるもの同士と繋がった方が
感覚的に楽だとは思いませんか?

そんな大人の関係性を築くためにも境界線って大事なのです。
改めてみなさんはこれからどんな境界線を築いていきたいですか?

ではまた~!

第45号 心理的危機状況にどうやって立ち向かう?

会員の皆さんこんにちは。二村恵子です。

突然ですが皆さんには«推し»はいますか?
アイドルだったりアニメキャラだったりアーティストだったり、人によって対象は違いますが、“大好き”という気持ちは一緒ですよね。
そんな大好きな推しが結婚したり海外移住したり全くの路線変更をしたらどんな気持ちになるでしょうか?
「信じられない。」「ショック。」「裏切られた。」「悲しい。」「おめでたい。」「なんて日だ。」などなどでしょうか。

このような思いもよらないことや受け入れがたいことが起きた時、それを解決できずに混乱することを心理的危機状態にあると言います。
私は普段看護師として医療の場にもいます。病気・ケガ・障害という受け入れ難いことに直面した患者さんは心理的危機状況になることが多いです。例えば大腸がんになって人工肛門になって今までとは排泄の方法が変わったり、気軽に人前で裸になってお風呂に入れなくなることで心理危機的状況になることがあります。こういった心理的危機状況に陥った時にどうその危機を受け入れていくかの過程を「危機モデル」というもので説明していきますね。
看護の世界ではよく「フィンクの危機モデル」が使われます。フィンクさんと言うアメリカの心理学者が提唱したものです。
フィンクさんは心理的危機的状況を①衝撃→②防御的退行→③承認(ストレスの再現)→④適応の4段階で説明しています。
①の衝撃はわかりやすいですよね。びっくりしてショックを受けて強い不安であったり恐怖を感じてパニック状態になることです。病気・ケガ・障害などになって間もない時期で取り乱したり落ち着かずに何をしていいのかわからない状態になることが多いです。

②の防御的退行は現実逃避して、怒りや非難などで自分を守る時期となります。「検査結果が間違っている。」「私がそんな病気になるわけない。」「なんで私がこんな体にならなきゃいけないの!!」という気持ちになったり、逆に全く病気や障害に目を向けずに無気力になって人に頼りっぱなしになることもあります。人によっては「私に今までの行いが悪かったからこんなことになった。」といって自分を責めて宗教に助けを求める人もいます。①で受けた不安や恐怖は減少しているのでパニックになることは少ないです。

③の承認は現実逃避しきれず事実に直面する時期で再び不安や焦りが見られる時期です。一度は他人を責めたり疑ったり、現実を見ないことで自分を守っていたけれど、その間にも時は流れて徐々にどうにもならないことを知っていく時期です。「どうしたってこの体で生きていくしかないんだ。」「この病気であることは確実なんだ。」「もう二度ともとには戻れないんだ。」というように今の自分に目を向ける時期になります。そうなると人はこれからどうしていけばいいのか、どうなってしまうのかなどの強い不安に襲われ、早くこの不安から逃れたくてがむしゃらにリハビリしたり治療法を探したりして空回りして、でもどうにも現実を変えられずに抑うつ状態になうこともあります。

④の適応は現実を受け入れて今あるものに目を向けて自分という存在を再認識して新たな価値観を持つ時期になります。「けがをしてもうサッカーは出来なくなった。だけど指導者としてはサッカーに携える。」「確かに長くは生きられないかもしれないけど、今はまだ歩けるし食べられるし話せる。出来る間に行きたいところに行って会いたい人に会って食べたいものを食べよう。」などと今まで自分の人生で1番にしていたものを手放して新たな1番を見つけていく時期になります。

この過程って、心理セラピーともよく似ていると思いませんか?
①の衝撃は、トラウマ的な恐怖を感じていてなにもかもが怖くてとにかくその恐怖に怯えてにっちもさっちもいかない状態です。
皆さんも初めの頃はこの恐怖でいっぱいな状態でリトリーブの門を叩いたのではないでしょうか?そしてセッションで感じてアシスタントの人に抱きしめてもらい、受け止めてもらってその強い恐怖を緩めましたよね。
それだけでもだいぶ生きやすくはなります。けどもそのあと、自分の考えで自分の人生を歩いていくためにはどうして怖いからといって我慢していたのだろうか、我慢することで私はどんないいことがあったのだろうか、私はどうしたいのかを見つめないといけません。

けれど、なかなかこれが出来なかったりします。②の防御的退行として親が悪いと言ってずっと責めたり、まだまだ私にはトラウマがあるから怖くて怖くてしょうがないと言って逃げたり、こんなに苦しいのにわかってくれないと他人を責めたり、逆に親にも事情があったから誰も悪くないのに私が考えすぎだったと庇ったり、運が悪かったと諦めます。そうやって自分や親を正当化しているのです。
被害者になり、加害者になって自分の問題から目を背けて守って、今にとどまろうとするのです。けど決して今に満足しているわけではないです。今に不満はいっぱいだけど、不満と引き換えに手に入れているもの、感じたくない気持ちを感じなくてもいいという安心を手放したくないという状態です。看護の世界では、この防御的退行の時期には現実を見せないというのがセオリーですが、リトリーブサイコセラピーでは違います。嫌というほど自分の問題という現実を見せます。掘って掘って掘りまくるところですね。なぜそんなことをするのかって?それは皆さんの人生を止めないためです。現実見ないと人生詰むからです。セッションでセラピストに掘ってもらうのもいいですが、もう応用コースを出ているみなさんならセルフ掘りもおススメです。ここで掘り進めることでトラウマ的な恐怖ではなく、自分の人生を生きて自分の意見を大切にすることで生まれてくる恐怖が出てくるはずです。

この恐怖が出てきたら、いよいよセッションですね。それが③の承認です。①とはまた違った形で恐怖と対面します。ここでよく陥るのが、この恐怖を感じないようになりたい、という気持ちです。感じない、というのは抑圧です。抑圧して自分の気持ちを押し殺して前に進むとどうなるかはもうご存知ですよね。AWAY FROMの人生になります。恐怖を感じない為にドライバーで進むことになります。それでは「生きたい人生」ではなく、「そうなりたくない人生で無い人生」を生きるというかなり拗れた人生になります。だから大事なのは「本当は悲しかった。」「本当は寂しかった。」「本当は愛してほしかった。」「本当は見てもらいたかった。」「でもそれが叶えられなくて生きるのが苦しかった。」「生きるのがしんどかった。」「生きていたくなかった。」というショックや絶望を感じて受け止めて、自分を承認して前に進むということです。いい意味で諦める時期でもありますね。でも、受け止めるのが一人では辛すぎるからセッションという安心の場で一緒にアシスタントに受け止めてもらいながら自分でも受け入れていくという過程をふむのです。

その過程をふんだからこそ、今の等身大に自分に目を向けて、自分の周りにあるものに気付いて感謝して生きていくことが出来ます。それが④の適応ですね。今までは人を見返すために頑張ってきたり、認めてもらう為の生き方だったのが、自分のあるもの、ないものを知ったうえで自分がどうなりたいのか、どうしたいのかを考えて自分の足で自分の力で生きていくことになります。過去の自分を受け入れたうえで新たな指標を持って生きる時期です。
こうやって心理的危機状況を段階を踏みながら進んでいくことで本来の自分を取り戻して生きていけるのだと思っています。

どの段階にも意味はあって、必要なものです。今自分はどの段階にいるんだろうと自分の状況を振り返ってみるのもいいかもしれませんね。皆さんの人生が自分らしくありますように。
それではまたお会いしましょう~。