第14号 「心理の学びだけにとらわれていませんか?」
こんにちは。今回は大阪の福満が担当です。
私の最近のテーマは「健康」でして、、。
先日のGWは、健康の基本「食」「運動」を見直そうという事で、ようやく料理をしてみたり、お弁当作ったり。。
長年の悩みの肩こりも、、ようやく「根本解決」しようかなと、ストレッチを始めたんですね。
で、結構色々調べたんですよ。
で、「運動」「食事」YouTubeも結構見たんですね。
そうすると、その中で再生回数の多いトレーナー等の動画には、その中のどこかに自己紹介動画などがあり、
「どうして私がこの発信しようと思ったのか?」というのが、かなり熱く語られています。
「このストレッチで自分が変わった。」
「こうやってヨガで自分の体に向き合う事で人生が明るくなった。」
「この食事で生きるって楽しいって思えるようになった。」
それを見ていて、やっぱり人は「自分を変えた」「変われた」そのきっかけを、そのパワーを、人に伝えたい!提供したい!と思うんだなと感じました。
その熱意って伝わるんだなと。
そうそう、そういえば、私がオーダースーツを扱う仕事をしていた時も、一流のテーラーさんって
本気で「スーツって人生を変える力がある」ってどこかでちゃんと信じている人が多かったです
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そして私にとってそれはやっぱり「リトリーブサイコセラピー」だなと改めて感じました。
・ブログしんどいなー、とか
・セッション行き詰っているな―、とか
・伝えるって難しいなーとか
悩んだり立ち止まることもあります。
でも根底の
・リトリーブサイコセラピーが好き。
・人生に対する影響力、パワーを知っていて信じている。
・心理は面白い。
という感覚があるから、続けていけるんですよね。。
どうでしょうか?
協会員の皆さんも、それぞれに思いは違っても、その感覚はあるんじゃないかな?
この
・好き
・自分の中の信頼(確信)
って、本当にプラスのエネルギーだなと思います。
良きパワーだと思います。
では、、これがマイナスのエネルギーになるってどんな時でしょうか。
私はこれ、「執着や依存になった時」「視野が狭くなった時」だと思うんです。。
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依存と言えばまず、1番初めに思いつくのが「セッション依存」です。
セッションを初めて受けて、自分の問題が軽くなったり、自分の本音に気付いたりする事って衝撃的だし感動的ですよね。
だから、何かにぶつかるたびに「セッション受けなきゃ!!!」ってなる。
「セッション受けたら何とかなる」ていう思考になる。
経験した人もいるかもしれませんね。
これだと、せっかく講座で得た「自分自身の問題と向き合う」という筋肉を衰えさせるし、取り戻して育てていくべき「自分軸」「生きる力」も衰えさせてしまいます。
まあ、そこは、リトリーブサイコセラピーのセッションって依存できない(セラピピストが答えをくれない、依存させない)システムになっているのですけどね。
今まさに、セッションに依存しそうになっているなと思ったら、「少し自問自動してからセッションを受けてみる」という事を自分で試してみて下さいね。
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でも、、、、。
心理って面白いじゃないですか?
リトリーブを学ぶって、やればやる面白いし深いので、特に学びが深まってセッションをセラピストの練習などを始めた時にはまた、別の意味で「何でもかんでも心理に結びつけてしまう。」という罠にはまる場合があるんです。。
もちろん、考察すること自体は面白いし勉強にもなる。
でも、視野が狭くなってしまうと
無意識のうちに他の選択肢を削除してしまう、後回しにしてしまう、、という事が起こってきます。
●セッションが着地しないのは心理的に何かが引っかかっているからだ
●腰が痛いのは怒りかしら。体調が悪いのは疾病利得かしら。
というように。。
もちろんこれらと向き合う事は大事なんですよ!!
でも、本当に単純に「練習不足だよ!!!!!!」という場合もとっても多いんです。
じゃあ、ビリーフ勉強した?掘錬してる?っていうとしてなかったり。
「着地できないのは成功してはいけないビリーフかしら??」という考察の前に、まず練習という行動に移してみて、
「練習をしようとしても全然手につかない、、、」とか、
「練習ではできたのになぜSVでは出来ないの?」
「なぜかここでいつも頭が真っ白に!!」、、、というところで初めて「何のビリーフかな?」と考察できるわけです。
(ちなみに私は初めて着地しはじめたのは徹底的にビリーフを見直し始めた頃でした。。)
腰が痛いのだって、長年の姿勢の悪さのせいかもしれません。
体調もね、疾病利得かもしれませんけど、でも、病院行ってみようよっていう選択肢を忘れていませんか?
もし、このように
「依存的になってるな」
「視野が狭くなってるかも」
という自分の状態にピンときたら、その時こそ自分の内側の
・不安感
・孤独感
・自己否定
を見つめ直してくださいね。
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人は好きなもの、パワーを感じるものの事を自分の中で大きな存在だと感じます。
この時に、自分の軸がしっかりしていれば、視野を広く持てていれば、それはすごく大きなパワーになります。
冒頭のYouTubeの話のように、その「好き」という気持ちは人にも伝わります。
心の問題を解決して視野が広がる、選択肢を広げる事の出来るのがリトリーブです。
だからこそ「好き」という気持ちを良いパワーにして、心理学の学びや、リトリーブサイコセラピーと関わっていってほしいなと思います。
今日は、好きだからこそ依存せず、視野を広く持とう!!というお話しでした。
それではまた!
第13号 「本当に「共感」できていますか?」
人と良い関係を築くためには、相手のことを理解しようとする気持ちや相手を思いやる気持ちが大切ですよね。
相手の気持ちに「共感」したつもりが、いつの間にか「同感」や「同情」すり替わっていませんか?
「同感」や「同情」になっている時、相手の気持ちに寄り添っていると言えるのでしょうか?
人の話を聞く時に大切な「共感」について考えました。
人の話を聞いていると「その気持ち、わかるな」と思う瞬間ってありますよね?
その時にどんな反応をしていますか?
●相手が不満を口にしていると、「そうだよね!本当にムカつくよね!」など一緒になって怒りが止まらなくなってしまう。
●相手が苦しい胸の内を話していると、その話が頭から離れずに日常生活にも支障が出てしまう。
このような反応になってしまうことが多いのなら、それはもしかしたら相手との境界線が曖昧になっているのかもしれません。
特にセラピスト(セラピスト役)をしてると、相手の話がわかる!わかる!そうだよね!と思った瞬間から、冷静に話を聞けなくなってしまったという経験をした人も多いと思います。
これは何が起こっているのかというと、相手の気持ちと自分の気持ちが同じになってしまった「同感」という状態になってしまったのだと考えられます。
わかりやすい例で説明してみますね。
【共感の場合】
Aさん:私は苺が好きです。
Bさん:あなたは苺が好きなのですね。
【同感の場合】
Aさん:私は苺が好きです。
Bさん:私も苺が好きなのよ!苺っていいよね!色がいいし、香りもいいし、あのつぶつぶがたまらない!それから、えーと、えーと・・・。
「共感」の場合は、自分と相手は違う人間で違う感覚を持っているという前提があります。
「共に感じる」ことは、私とあなたが別々の存在であるからこそできるのですね。
別々の存在であるからこそ、相手を尊重し、分かり合おうと能動的に相手の気持ちを想像する姿勢も必要になります。
「同感」の場合は、私も同じ!となった時点で自分に意識が向いてしまいます。
私とあなたが同じ気持ちを感じる一つの存在のようになってしまうのですね。
この「同感」の状態では、相手の怒りや悲しみに寄り添うよりも自分に意識が向いてしまい、冷静にクライアントさんの話を聞けなくなってしまうのです。
そして最も感じたくない感覚に対しては無意識に避けようとします。
当然クライアントさんの恐怖にも触れることはできません。
だからこそ、セラピストは自分の問題を解決しておくことが大事なのですね。
セラピストでなくても、共感は難しいと感じるし、相手と同じ気持ちにならないといけない気がする、又は全く相手の気持ちが想像できないという場合、このような状態を経験しているのかもしれません。
・親が不幸そうに見えていたなどの理由で親の感情を飲み込んできた
・ネグレクトなどで親から人とのコミュニケーション方法を学べなかった
・家庭環境が過酷過ぎて感情を凍結させてきた
そうしないと生きてこられなかった家庭の背景があるはずです。
だから自分を責めないでくださいね。
それからもう一つ、「同情」についてです。
●相手が辛そうに話していると、「ああ・・・この人、かわいそう・・・。」と思わずにはいられない。
そうなった時、相手のことをかわいそうな存在の人として自分より下に見ているのかもしれません。
この状態では対等な関係とは言えませんね。
本来、人と人は対等です。
相手を下に見るということは、そうしたい理由、つまりそうすることで得られる利得があるのです。
それは何でしょうか?
よかったら自分に問いかけてみてくださいね。
人との関係が上下しかない場合、常に人と比べて戦い続けなくてはなりません。
若い時は勝てても、歳を重ねると負けることが増えてくるでしょう。
そうなった時、勝ち続けることで自分を保ってきた人は生きるのが辛くなってしまいますね。
対等でない関係は、安心できる関係とは言えません。
自分と相手は感じ方も考え方も違う人間で、自分と相手は対等だという感覚が腑に落ちるほど共感できるようになるし人間関係も楽になっていくはずです。
これからも自分のために自分と向き合っていきましょう。