第34号 「鵜呑みの人生は楽と恨みの人生?【自分の人生を生きるについて】」

こんにちは。

もうあっという間にG.W.も終わりましたね。今年ももうすぐ終わりですね。
、、、え、まだ半分?
いや、もう半分だよ!!!!!

という感覚で、取り乱しております、5月の福満です。
いかがお過ごしでしょうか。。

さてさっそく本題です。

●自分の人生を生きるって何?

リトリーブサイコセラピーって何?的な質問を自分にした時、
どう答えますか?

・自分らしく楽になれるセラピー。
・根本解決できる。
・親子問題が解決できる。
・トラウマからの生き辛さが解消できる。

セラピーによる効果は数えたらキリがないし、人それぞれ表現は違うと思います。

私にとってリトリーブサイコセラピーは
一言でいうなれば「自分を生きる」為のセラピーです。

だから、

自分を生きるってそもそも何?とか
どうやったら自分を生きれるの?とか
どういう時、自分を生きていると感じられるの?
自分を生きないとは?

という事をわりとずっと考えています。変態のように。
(まあ、いつか長編の本が出せると思います。)

・自分の人生を生きる。
・自分と向き合う。

この言葉ってリトリーブにいると、よく聞く、よく言う言葉だと思うんです。
みんなそうしたい、そうであろうとしているんじゃないかなと思います。

でも、、、

それってあなたにとってどういう事?
と自分に聞いた時に

「?」「どういう事?教えてください。」ってすぐになるとしたら、
もしかしたら、リトリーブサイコセラピーで学んだことを「鵜呑み」にしているだけかもしれません。

今日は鵜呑みの話をしていきますね。

◎「鵜呑み」の積み重ねしていませんか?

たとえば、こんな人がいるとします。

「私は、毎日離れて暮らすお母さんに電話をしています。」

これを聞いてどう感じますか?

実はこの状態の女性芸能人の記事(Yahoo!)を先日読んだんですね。
それに付いているコメントは様々でしたが

・親孝行だ。
・素直な子だ。
がとても多かったです。

中には
・子供じみている。
・共依存ですね。

というコメントもわずかにありました。

ヤフコメなんて適当で自由なのですが、皆さんはどれが正解だと思いますか?

で私の答えは、
「わからない」です。え、ずるい??

でも、わかんないんです。
想像はい色々できますけど、、

・「何で」どうしているのか。
・そうしなかったら「何を感じる」のか。
・電話をした時「何を感じる」のか。
・親はどんな反応なのか。
・自分はこれをどう思っているのか。

それがわからない限り、本当のところはわかりません。

でも、鵜呑みの癖があると、どれかの価値観を飲込んで決めつけてしまいがちです。

そして自分の事もそれに従って行動しようとします。

自分がどうしたいか?
どうして電話しているとか、電話をしたい、したくない、とか、、、
そういう事の前に、

周りの価値観を飲込んで

・親孝行するべきだから電話しよう。
・共依存をやめなくてはいけないから電話はやめよう。
という風に。

そして無意識に周りに合わせている事で「安心」します。

あーーーー。これで親不孝じゃない。
おーーーー。これで共依存じゃない。

はい。
【これが、自分の人生を生きない。鵜呑みの人生】
です。

え?話しが小さい??
いえ、このちっちゃい事のその積み重ねこそが「自分の人生を生きない」です。

これを繰り返していたら、どうなりますか?

そう。
人のせい人生です。

本当は電話をしたいのにするのをやめた人は
自分に嘘をついています。

本当は電話をしたくないのにした人も
自分に嘘をついています。

鵜呑みにしていると、【自分に嘘をついている】事にさえ気付きません。
だから葛藤もありませんから楽ですけど….これ怖い事ですよ。

無意識に自分の欲求を「抑圧」している状態です。

そして、「抑圧」したものは
「膨れあがって主張してくる」し
「投影」を起こしますよね。

「電話しないなんてお前は親不孝者だ!!!!」と他人を決めつけて押さえつけたり。

セラピスト修行中だと決めつけも起こります。
「毎日電話ーーーー!共依存に違いない!!」

見立てるのは良いんですけど、、
そうやって決めつけると、その背景など耳に入らないので結局セッションは独りよがりなものになり、
ラポールも切れてしまいます。

それは、クライアントさんの気づきや変容のチャンスを壊してしまいます。
あ、話がそれた。

ラポールが切れる。それはセッションの場面ですけど、つまり人生において何が起こるかと言えば
「人間関係」を壊すことになります。

余談ですが、こういう人は、後になって自分の属していた場所や仲間を「ホントは嫌いだった」などと否定しがちです。

後になって「本当は電話したくないのに、日本の同町圧力のせいで電話させられていた――――」と被害者ポジションになる感じといえばわかりやすいでしょうか。

本当にしたい事ができなかったのは、周りのせいだ、洗脳されていた、という訳です。
本当は、自分が鵜呑みにしただけなんです。

「自分で決めて自分の人生を生きる」という事を放棄すると
無意識に自分を抑圧し、人間関係を怖し、あとで「本当はこうしたかったのに!」と後悔しながら、
周りを恨む人生です。

そして、過去の自分の選択を顧みる事もできないので、
「次はどうしよう?」
と考える事もできません。
考えているようでそれは
「次は誰のいう事を聞こう?」でしかありません。

だから【自分の人生を選ぶ】その筋肉も付きません。
【自分の人生を生きない】の強化行動が繰り返されてしまいます。

◎気付いたら自分に問いかける

いかがでしょうか。

皆さんは「鵜呑み」にしてませんか?
誰かの価値観に合わせた自分になろうとしていませんか?

もし、

・セミナージプシーしてしまいがち。
・過去の会社(仲間)は最悪で、今は最高です!を繰り返している。
・あなたはどうしたい?など自分を主語にした事を聞かれるとよくわからない。
・今までの自分は全部間違っていた!と感じる事がい多い。
・それ違うと思うよ。といわれると頭が真っ白になって不安になる。
・影響力の強い人、言い切る人に惹かれる。

等が強い人は、「鵜呑み」の癖があるかのかもしれません。

……ここまで「鵜呑み」のデメリットを書いてきましたが

誰かの価値観を鵜呑みにすると
楽な事って沢山あるんですよ。そう、メリット沢山です。

特に「多数派」と言われる感覚を「鵜呑み」に生きるととっても安心な気持ちになる事多いと思います。そのコミュニティの中で、「楽ちん」かもしれません。

それはある意味、日本において
「右利きの人の方が便利」なように。

だから、そうして「多数派」っぽく生きていくほうが良いわ。
と思うなら、それはそれでその人の人生です。

…..デメリットは前述したとおりです。
あなたは「楽ちん」と引き換えに
自分自身を無視する人生を送ることになります。

あなたは本当はどう感じていますか?
そしてあなたはどうしたいですか?

それを自分自身に聞いていく事。

それが【自分と向き合う】だと私は思います。

それではまたね~~~。

第33号 「わたしがセッションで愛着にこだわる理由」

こんにちは。垣内満寿美です。
5月に入り、新緑の時期がやってきましたね。

春から新緑の時期にかけて、ジワジワ暖かさから暑さに変わるこの時期の
朝はとっても気持ちがいいですね。

朝起きても、今日も頑張るぞー!というやる気にもなる時期ですが
同時に5月病ともいわれるくらい新年度明けに体調を崩す方が多いと言われます。

さて、この慣れてきた時期に体調が悪くなるのはどうしてなのでしょうか?
これは環境が変わったことで引き起きすことが多いです。

人は正直変化を嫌います。
慣れ親しんだ環境には多少なりとも安心感があるので、その安心感がなくなり、1からわからないことをしていくことへの不安が大きくなりますよね。

そう思うと、「安心感」ってとっても無敵な感覚な気がします。

今日は、それにちなんで「私がセッションで愛着にこだわる理由」についてお話ししたいと思います。

私自身、「愛着」についてこだわってセッションをしていたつもりはなかったのですが
少し前にカズさんに「マスミが愛着に対してなぜ強いこだわりを持っているのか?」が謎だった。と言われたことがありました。

それを言われたときに、今までの自分の生きてきた過程と回復過程を振り返ったんですね。
私は、こう見えて受講生時代他の受講生と仲良くする気もありませんでした。
人に気を使うことは、もうしたくない。自分を偽ってまで人と関わりたくない。そんな気持ちでした。
今思えば、人が怖い。人を信用できないがMAXだったと思います。

セッションを通して、自分は親を背負って生きていることへの生きづらさは理解でき解消できていく中でどうしてもぬぐえない感覚は「自分はどうせ愛されない」でした。

だから、人に関わるときは必要としてもらえる人でいること=それが愛されていることだと思っていました。
だから、どうしても犠牲のポジションに入るし利用されるし、利用価値がなければ捨てられる。
そんな感覚が全然取れないもんだから、恋愛もする気にもなれない。
ますます、私はやっぱり愛されてないと思っていきますよね。

親から愛されてなかったか?と言えば、そうじゃない部分もあります。
大事に育ててもらった。という気持ちがないわけではありません。
今は、お母さんとの関係は良好になり、やっとお母さんの子供でいられる。という感覚もあります。

でも、私が欲しかったのは子供の時に「大好き・愛している」という気持ちを全身全霊で
親にもらいたかった。今じゃない。あの時欲しかった。という気持ちだけが残り続けていました。

だから、恋愛で相手に親を投影して、どうして愛してくれないの?好きって言わないの?
なんで、私を不安にさせるの?って、不満を溜めては相手に言えないから、いつもモヤモヤしていたんです。

そう思うと、今安心感を持てない人も「あの時のあの思い。あの時の欲しいもの」を今でも無意識に絶対に求めているんじゃないか?って、自分の体験を通じて思いました。

子供が欲しいものって「お母さんとお父さんの大好き」です。
それがあれば、生きていける。
それがあれば、どこに行っても自分は大丈夫だって思える。

そんな生きていく上で、無敵のアイテムだけ持っていないのは
他の武器をたくさん集めても、かなわないくらいのアイテムなんですよ。

だから、どんなに優秀でも、どんなに稼いでも、どんなに有名になっても
愛されている人にはかなわないんです。

たった1つの欲しいもの、本当に欲しいものが手に入らないという絶望感は
それはそれは、命を脅かすことに繋がって当然だと思いました。

そして、私は今までカズさんと一緒に仕事をして学んだ中でこの言葉だけは忘れません。 

「不安や恐怖は強い愛着でぶっ壊す!」

セッションの中で、恐怖や不安を感じたときに「ハグ」をするのは
あの瞬間「愛着をこれでもか!と入れています」

恐怖と不安で心の中がいっぱいな人には、愛着が入る隙間がありません。
だから、怖いと言わせたり、身体を震わせたりして、怖いを体の外に吐き出して隙間を作らないと愛着が入らないのです。

なので、バーン!と椅子を置くときに音を出したり強い口調で言葉を言って垣内さん怖い。( ;∀;)と、言われても、わたしは恐怖を煽るのは絶対的な無敵なアイテムを入れる為なのです。

怖いから・・もう二度と来ない人もいますけどwwww
でも、かりそめの優しさなんて、すぐにバレるのもですからね。
そうやって、今までと同じように人に気を使って嫌われないようにする生き方は
わたし自身もうしたくない!と思いました。

それって、もうセラピストステートではないからです。

そして、一度入った体感を大事にするか?しないか?はもう本人次第です。
どれだけ、セラピストが安心感を入れても人にどうにかしてほしい。という他力本願な人は
もらった愛着をすぐに捨てます。

そして、また不安です。とセラピストにもらうことをします。

違うんですよ。もらったものを大切に自分で育てていくこと。
これが、自分の能力を信じること、自分を大切にすること、自分の声を聞くこと
自分を感じて生きること、自分を無力にさせない方法です。

そして、もらった愛着は必ず生きていく上での勇気になるはずなんです。

これを諦めずにやった人は必ず変わります。
私は、何人も変わって人を見てきました。同時に変わらない人も見てきました。

どれだけ、自分に対して努力できるかどうか?ここが今後の人生の分かれ目です。

そして、もう1つ「恐怖」と向き合うと決めた人にしか
この安心感は手に入りません。

怖いから逃げ続けている人は、怖いを外に出さないので、安心感は入りません。

なので、垣内さんはしつこいくらい葛藤もさせます。
もうしつこい!嫌!怖い!と思う人多数です。ww 知っています。

すべては「クライアントさんが、私は安心して生きていける」この感覚を最終的に
持って生きていくことを選択できるようになることが、私の仕事だからです。

向きあうって辛いし苦しいけど、必ずギフトはあります。
愛着は、向き合った人にしか手に入らないのかもしれません。

このコラムをきっかけに、セッションでもらった愛着の温かさの感覚を思い出してほしいです。
そして、それをもう一度育てなおすきっかけになるといいなと思います。

自分を育てていくこと。
人に育ててもらうのではなく、自分で自分を育てていきましょうね。

ではでは~!! そろそろみんなでレク活動をしたい気持ちでウズウズしておりますwww