対等な関係がわからない!?人と対等な関係を築くためには。

こんにちは。心理セラピストの関根ゆかです。横浜を中心に活動しています。みなさんは、どんな秋を感じていますか?

こちらの地域もすっかり涼しくなり、金木製の香りも漂い秋めいてきています。我が家は小学校が近くにあるので、毎年この時期は子どもたちの元気な掛け声や演技の曲が流れ聞こえてくると”運動会シーズン到来!”と、秋を感じる瞬間でもあり、元気を分けてもらっているように感じています。

さて、みなさんは、どの位人と関わりをもって日々を送っていますか?また、どのような関わり方で関係を築いていますか?
強いて言うならこの世を去ることは一人でも可能ですが、
誕生の瞬間から一人では生まれてくることも不可能で、
他者の存在なくして、自分を認識することも難しいのでしょう。

現実的に生きていく上で、人と関わること。人間関係は切っても切れない事象なのでしょう。

多くのお悩み、問題は”人”が絡む事柄だと思いますが、いかがでしょうか?

問題が生じる原因は色々考えられますが、今回は、切っても切れない人との関係を、どんな関係にして行くことができたら、より豊かな人生を歩めるのか?

という視点で、私自身もじっくり考えたい『対等な関係』についてをテーマにしました。

みなさんは、対等な関係ってどんなイメージですか?

横のつながり
フラットで何でも言い合える
分かり合える
仲間
仲良し
尊重し合えて心地いい
自由
信頼
あたたかい

それぞれあると思いますが、大体このようなイメージでしょうか?

そもそも対等って?!?

辞書を引いても、わかるようでわからない・・・
聞こえはいいけど、どう接していいのか?私はそんな感覚でした。
対等に人と関わる事と考えると、わかりづらかったのですが、
対等に関わって欲しい!と感じた時を思い返すとボヤっと見えてきたのです。

●決めつけないで欲しいな
●命令されたくないな
●選択肢が与えられてないな
●ほっといて欲しいな
●自分のことばかりだな

などなど・・・

並べてみると、抵抗感、ストレスを感じているのがわかります。
どこかで、下に見られていることを感じ取っているのです。

揉めたり、問題になるのは当然ですね。

ただ、人として。
共に生きる存在として。
互いに優劣がなく等しい状態で関わりを持つこと

こういう事なのではないでしょうか?

もしも、人との関わりの中で優劣を感じて人と関わっているのなら、
対等な関係ではないと言えるのでしょう。

この世の中は縦社会でもありますし、ましてや一人では生きて行かれない子どもと大人の関係であったりと、完全に対等というのには無理があるようにも思いますが、果たして、縦社会の中で役目を果たしつつ、対等な関係築くことは可能なのでしょうか?

褒めることが支配になるの?

私は3人の子育て中でもあり、仕事でも子どもと関わる機会ばかりなのですが、子どもに対して、”すご~い!”とか”えらかったね~”と褒める様子をよく見かけます。(ご多分にもれず私もそうしていました…)

何かができた時や、我慢した時や”お利口さん”に向けられていることが多いように思いますが、

少し立場やケースを変えて考えてみて欲しいのです。

●正解でなかったり、出来栄えがさほど良くなかった。
●いつもできている事、すんなりできた事の場合
●我慢することができなかったとしたら?

どうでしょうか?

●相手が子どもでなく友人やパートナーであった場合

どうでしょうか?

同じ言葉を選んで遣いますか?

●もし、あなたが子どもの立場だったら

何を感じ取りますか?
私は嬉しいというより、持ち上げられているような感じで、
気持ちよいような気持ち悪いような感覚を感じました。

どこか心地よくないとでもいいますか、
やはり下に見られている感覚を覚えると思います。

言葉を発している側の心理状態は?

●何らかの期待をしていて、期待通りだったか、期待以上の結果だった。
●そもそも期待もしていなかったからこそ出る言葉のようにも感じます。

その前提は、

子どもだから『できるわけがない。できない。』
子どもには『できるわけがない。できない。』

無意識に”できっこない・できやしない”と決めつけている状態であり、
そんな風に”子ども像”に当てはめた上で”子ども”という理由で”その人”を
そもそも下に見ているということでしょう。

ここに敬意は全くないので、対等な関係とは真逆の状態ですね。

褒められることは、子どもに限らず嬉しいでしょう。

嬉しさを感じつつ、対等でないことも感じ取っています。
全てではありませんが「褒める」ということ自体、対等な関係というより上下関係の中で行われることが多いように思いますし、

”思うように動かしたい”という相手をコントロールすることが目的となっている場合もあるでしょう。

対等な関係を望むのであれば、自分の当たり前を疑うこと

そもそも、どんなことが凄いことなのか?偉いことなのか?
子どもはできない事だらけで当然です。

一つづつ、少しずつできることを増やしながら成長していくのです。

そして、子どもは自分で生きていくことができない上に、力も知識も大人にはかないません。

当然ながら上下関係の中で生きています。

そういう意味で、大人と対等な関係を築くのは難しいようにも思えますが、
だからといって大人が子どもを下に見ていいということではないですね。

子どもを”子ども像”に嵌めることなく、一人の人間として接すること。
そうすることが対等な関係を築く一歩です。

子どもを例にとってお話ししていますが、子どもに限った話ではなくあらゆるケースでも同じです。

敬う?問われる共感力

先ほどの『立場や相手を変えて考えてみる』心の理論といわれるものですが、
ここに心の成熟度がダイレクトに現れるのです。

自分が経験してわかる事、知っている事は共感しやすいですね。

けれど、ここで言う共感はそれ以上のことを指しています。
『本気で立場を入れ替えて考える』訳です。

他者の目で見て、他者の耳で聞いて、他者の心で感じ取りに行くこと。
これこそが、相手を敬うことになるのです。

●自分も相手と同じ立場や境遇であったなら、同じふるまいをするのではないか?と考える。

このスタンスで関わる時、相手の立場や境遇を知る必要があるので
もっと知りたい、聞きたい気持ちで居るでしょう。

自然とコミュニケーションが取れることになります。

苦手な人も敬うの?共感するの?

何か気に食わない・・・
ムカつく・・・
腹が立つ・・・
この人嫌だな・・・

この時点で何らかのジャッジが起きています。

心の奥底では『自分が正しくて、相手が間違っている』と。このように、正しさが顔を出した時は、すでに境界線をこえていて

相手の領域に入り込んでしまっているとも言えるでしょう。

嫌ですね・・・。嫌です。わかります。

だけど!

嫌いな人ほど、共感力の出番です。

考えようとした瞬間に、相手の立場で考えることができる程、相手の事は、何も知らない事に気付くでしょう。

苦手で嫌いな人を、無理に知る必要もないとしても、このプロセスを踏む事こそが、相手を敬うことになるのです。

相手の一面を見て、嫌いになっていたのだな。と気付けた時、
少し、嫌い度が下がることもあるでしょう。

ネックになる察するコミュニケーションスタイル

日本文化の最たるもの?空気や行間をよんで生きるというスタイルですね。

そうして生きることで、優しくて、気に効く人とみてもらえたり、
必要とされたりと、いいこともたくさんあります。

相手にすると楽なので、甘んじてしまうのですが相手の成長がピタッと止まります。(この辺りの詳細は、是非、別記事に目を通してください)

そして、何より重要なポイントは、頼り頼られることで、相手をコントロールしようとする

支配・服従という縦の関係を築いていて、そこで安心感を得ているということです。

支・従こそ入れ替われど、対等の対極にある関係です。

共依存の特徴のひとつでもあるのですが、この状態では人と横の繋がりで、対等に関わることを実践するのは難しいでしょう。

全ては受容から

今が、どのような状態であっても、対等な関係を築いていきたい!と望むのは健全なことです。
望むという事は、今がそうでないからなんですね。

この瞬間から、築きなおすことはできます!

一人っきりで生きていない限り、他者を通して自分を認識してきているのですが、まずは!

他者と比較して、優れているとか、劣っていると感じたときに

●人を利用して満たし続けるのか?
●強がって、なかったことにするのか?
●誤魔化して逃げてしまうのか?
●成長に向かうエネルギーにするのか?

今、改めて選択する事ができます。

他者と比較して、優れているとか、劣っていると感じたときに

●劣っている部分を受け入れる
●弱さを受け入れる

受け入れることで

●どうしたら較べた相手のようになれるのか知りたい
●知りたいから教えて欲しくなる
●学びたい、頑張りたい

と、本来の成長ステップを踏み出せるのです。

劣っている自分を受け入れると、相手の弱さも認められるようになるので人間の弱さを知って、優しさが生まれるのでしょう。

そして、較べる相手を変えましょう。
較べるならば!過去の自分と較べましょう。

共依存から共存へ

対等な関係の対極にあるのは、上下(支従)関係です。

縦社会の中であっても、礼節をわきまえて対等な関係を築いて行けます。
敬うことができるから、礼を重んじるようになるのです。

敬うことができるから、感謝の念が湧くのです。
礼を尽くして、感謝で関わるからこそ対等で居られるのです。
対等に立って共に歩むから、支え合い、助け合い、分かち合えるのです。
信頼しあえる関係でもあるのでしょう。

それぞれが成長し、心の成熟度を上げ、保つ努力をする。

そのような、精神的な自立あってこその対等な関係になるのでしょう。

対等な関わりの繋がりを、まずは一人づつ、身近な大切な人から始めましょう。
そして、徐々に増やしていきましょう!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

筆者: 協会推薦心理セラピスト

【神奈川県】関根ゆか

神奈川県
【対面セッション】女性のみ(男性はご紹介のみ)

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