山あり谷ありの人生をどう生きるか?

こんにちは。東京・北海道で活動している大咲けいこです。

秋になりましたね。
そして今年もあと3か月ですね…。
時が過ぎるのは本当に早いものです。

今年の総括はまだ早いですが
私自身は山あり谷ありの日々だったなぁと現時点でも思います。

ところでよく「人生は山あり谷あり」と言いますよね。

なのですが
・いつもハードモード
・逆に何もなさすぎる
・なんだかよくわからない…
・そもそも自分がわからない…

そう感じている人もいるのではないでしょうか?

今日はそんな山あり谷ありのたとえ話から
現在の生き辛さの原因について書いてみたいと思います。

人生は山あり谷あり?

では想像してみてください。
あなたは物語の主人公です。

フィールドには360度見渡す限りの自然が広がっています。
あなたはここに誕生し、これから自分の人生を歩いていきます。

その時、旅の仲間が存在します。
それは家族としましょう。

まだ生まれたばかりのあなたは、レベル1並みの弱い存在です。
ですので家族と共に行動するしかありません。

そうした中でも山や谷は存在します。

仮に

山:挑戦・試練
谷:想定外の出来事

としましょう。

ここで山や谷をどう捉えていくのかを、親のパターン別に比較してみたいと思います。

愛着が安定した親のケース

あなたは家族と共に成長し、今では自分で歩けるようになりました。
自由に動けるからこそたくさんの欲求も感じるようになります。
と、ここで、初めて山を登る場面に遭遇します。

例えばキレイなお花が咲いているのをあなたは発見しました。
もっと近くで見たいけど、そのためにはお母さんから少しだけ離れないといけません。

当然ながら怖いし不安です。
でもどこかで安心も感じています。

なぜなら親が
・ちゃんと見てくれている
・転んでも助けてくれる
・頑張れって応援してくれるそんな絶対的安心感が体の中に存在しているからです。

だからお花を見に行くという山を、怖いけど登っていきます。
たとえ失敗しても寄り添って支えてくれると信じているので、違う山にも果敢に挑戦していきます。

そして今度は、谷が出てきました。
仮に親が病気になったりリストラされたりなどの「まさか」の出来事としましょう。

不穏な空気が流れますが、お父さんとお母さんは互いに向き合い支え合います。

それを見て子供は
・人は助け合う存在なんだ
・逆境が起こってもなんとかなるんだ
という事を学び、両親が支え合う姿に安心するのです。

過干渉の親のケース

山:親がいつまでも手を引っ張る、もしくはおんぶして登ってくれます。
でも気づいたら登りたい山じゃなかったり、あなたが登ろうとした山に対して、「その山は好きじゃないわ」「こっちにしておきなさい」と、親の望む山以外は登らせてくれません。

谷:親が不安定になります。
「こんなはずじゃなかった」と弱々しい親の姿を見て、あなたは不安でいっぱいです。
その一方で、「あなただけが頼りなの」とばかりに過剰な期待と干渉が激しくなります。当然親同士は向き合っていません。
あなたは怒りをためつつ、親を裏切る罪悪感から結局は親の望む人生しか選べないのです。

暴言暴力が激しい親のケース

山:山を登る以前に、突然親から怒号や手や足も出てきます。もう意味がわかりません。
山を登るとかどうでもよくて「親が怖い」しかありません。

谷:こちらも同じて「親が怖い」しかありません。
今この瞬間をいかに生き抜くか・いかに守り抜くか、もうそれだけで精一杯。
親を刺激しないようにすること、常に身体を固めて身を守ること、それしか考えられないのです。

ネグレクトな親のケース

山:ひたすら放置されます。
あなたは親に見て欲しくて、最初は頑張って登ったりわざと転んだりします。
しかし親は相変わらず無関心のまま。やがてあなたは山を登ることをやめます。何をやっても意味がないからです。

谷:こちらも放置です。
家族が大変な状況でも我関せずな親を見てあなたは絶望します。この行き場のない怒りや恨みの感情は、出したところで無駄なこともわかっているので、感情を凍結させてなかったことにするのが得意になります。

問題の根本原因とは?

そんな幼少期を経て、やがてあなたも大人になります。
外の世界は広がり、人との関りも増え、家族以外の旅の仲間も増えていく…はずなのですが、そうじゃない状況に陥っているのが現在ではないでしょうか?

ではなぜこの状況に陥っているのかというと、これは幼少期の親との関わり方が、他人へ投影として起こりその後の人生に大きく影響している可能性があるからです。

愛着が安定した親の元で育った人は、人への恐怖心が薄く、人を信じることができます。また親同士が対等なので、自然とその感覚が身につきます。とても生きやすい状態と言えますね。

次に過干渉の親の元で育った人は、親が全部決めてくれていたので、自分で考え、判断し、決めて、行動することができません。
そして親から離れることが怖く、嫌だ嫌だと言いながらも側にいる方が安心なのです。
だから親がいなくなると、どこに行けばいいのか、この山は登っていいのか、谷に落ちた時はどうしたらいいのか、もう何もわかりません。
そうして親のように依存できる人を探し求める人生を歩んでしまうのです。

また暴言暴力系の親の元で育った人は、人が怖くて仕方ありません。
攻撃されるかもしれない…という感覚が染みついているので、身体を緩めることができません。緩めた状態がわかりません。むしろ戦闘態勢で身体を固めていた方が安心なのです。
常にビクビクオドオドしているので、いじめの対象になりやすく、不眠症やパニック障害などを引き起こす可能性も出てきます。

最後にネグレクトの親の元で育った人は、人を信じることを諦めているので一人を好みます。人生を動かすこともどうでもよくて、山や谷が現れたら全力で逃げ出します。むしろ何もせずココに留まる方が安心だと感じているのです。
でも果敢に挑戦する人を見て、バカだなーと見下す反面、どこかで​憧れも​抱いていたりします。

解決へ向けて

もちろんここでご紹介した例はあくまで一例です。
もっと様々なパターンはありますよ。

でも親の影響がいかに大きいかは、おわかりいただけたかと思います。だからこそ、親に文句の一つでも言いたくなりますよね。

でもですね、いつまでも親のせいにしたところで、あなたは山や谷を越えて自分を生きることができるでしょうか?

はい、できないのです。
今ここに広がっている現実という名のフィールドから、何一つ進んでいないこともおわかりいただけるかと思います。
だから親への執着は、いつか諦めないといけないのです。

もちろん「やーめた!」と簡単に諦めることはできません。
当時の未完了の感情をセラピー等で開放しない限りは難しいと思います。
執着を持ちながらでいいので、それでも自分に意識を向けることをしてみてください。

現実はどんな状況なのか?
今の立ち位置はどこなのか?
自分は何を感じているのか?

じっくりゆっくり、今を理解していくのです。これが自分を知るということ。

そして今まで感じていた安心は、果たして本当に安心なのか?ということも改めて考えてみてください。
親の側にいることが、戦闘態勢でいることが、何もせずココに留まることが、本当に安心なのでしょうか?

そうやって自己理解を深めるうちに、今までとは違う何かが芽生えてくると思います。

まずは一歩をどう踏み出すか?
人生で出会う旅の仲間とどう関わっていくか?

フィールドにある挑戦したい山を、これは本当に登りたい山なのか?自分に見合った山なのか?登ったら何が起こると想像して怖いのか?
フィールドにある想定外の谷を、受け入れるしかないのか?何か別の方法はないのか?受け入れた先はどうしていきたいのか?

残念ながら大ジャンプはできません。
急にもう大丈夫!なんて状態になることもありません。

とても地道ですが、目の前のことに一つ一つ向き合っていくことが大切なのです。

そして歩んできた道を振り返ったとき、そこには越えてきた山や谷が存在しています。そこで自分の成長を感じてください。

隣の人はもっと高い山を登っている。
あの人はもっと深い谷底なんだから辛いなんて思っちゃダメ。

なんて他人と比べる必要はありません。
状況や環境はみんな違うから。
比べていいのは過去の自分だけ。

そうやって歩んできた道が、あなたの生きた証です。

やがて年齢と共に、高い山に登れなくなったり、谷底から這い上がるのにも時間がかかったりします。
そして余命わずかの細い一本道になる日も必ずやってきます。それでも自分のあり方や生き様は自分で決められます。

そうやって人生の終着地へと進むとき、どんな自分でいられたら良いでしょうか?

後悔の人生で終わるのか
諦めの人生で終わるのか
妄想の人生で終わる​​のか

あなたはどうあり​​たいですか?

山も谷もよくわからない、自分が迷子だと思った方は、自分の人生を踏み出すきっかけとして、電話カウンセリングを活用していただけたらと思います。どうぞお気軽にご利用くださいね。

筆者: 協会推薦心理セラピスト

北海道札幌市・東京
【対面セッション】男性・女性受付可

https://cocoro28.com/ko/

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