こんにちは、公認心理セラピストの松本美奈子です。
「復讐」という言葉、とても重い言葉だと思います。
「他人に迷惑をかけて生きていたいわけではない。けれど自立するイメージが持てない。」
自分の生きづらさを見つめた時、 ダメな自分でいたり、親に寄生したり、
あの手この手で「自分の人生」を放棄している、復讐しているつもりなんて毛頭ない。
だけど、自分のことで困っている親を見ると、
「私の寂しさ、苦しさ、これでわかった?」と言いたくなり、
いざ自立した後に親が楽になった顔を見せると急に甘えたくなる、、、。
中にははっきりと
「自分がこんなに苦しい思いをしてきたんだから親に迷惑かけて何が悪い!同じ思いをしろ!」
と言う人も結構います。
私にもそういう記憶があります。思春期真っ只中でした。
復讐する側にも気持ちがあり、それもわかる。
だけど、復讐される側にも気持ちがある。 何かというと、、、、
- 息子が暴れている、手がつけられない
- いい歳していつまでも家にいて自立しない
- 何か外で問題を起こすよりは家で監視する方がいい
- 謝れ!って言われるけど今更、、
- 申し訳ないと思ってるから謝ってるんだけど、なかなか和解できない
例えばこんな感じでね、 復讐されている側の気持ちは「どうにかやめてほしい」なんです。
復讐する側の本当の気持ちは、謝ってほしいだけじゃなく
「私を見てほしい、愛してほしい、一番に考えてほしい」 ってこと。
復讐する側とされる側、こんなにも行き違っているんですね。
復讐される側の立場でセッションを受けられる方ももちろんいます。
最初は「どうにかやめさせる方法はないか?私が変われば子供は変わる?」という考えからなかなか抜けないのですが、いろいろ見つめていく中で「親と同じことをやっていたんだ、、、。あんなに嫌だったのに、、、。」と、自分のテーマを見つめることにシフトしていきます。
耳タコな話ですが、 本人が問題意識を持って変わろうと思わない限り変わりません。 相手を変えることはできません。
自分のテーマであることを認識した時点で問題意識を持ったことになり、それが嫌なら「変わりたい!」という決意につながります。
その過程はあくまでも本人サイド、復讐される側で起こるものであって、復讐する側の意図はきっかけにすぎず、きっかけがきっかけたり得るのも復讐される側の意識次第。
復讐は無意味である、というのはこの観点からも言える話です。
今まさに復讐している! 昔は復讐しまくっていた! という方、
ぜひ知ってほしいのです。
あなたがしている復讐は、あなたが求めている結果を招かないことを。
じゃあこの思いはどうすればいいの?!
お聞きします。 どうしたいですか?